志村が死んだこと②

彼が亡くなってから、大きなメディアでもSNSでも話題はその事ばかりになった。僕の接するメディアがその話題一色だっただけかも知れないが…。


彼の訃報を知ったとき、僕はその事実をしっかりと受け止めていられなかったのかも知れない。

「彼の死を国のコロナ対策のずさんさにする意見」「単純に彼の死を嘆く意見」「あらためてコロナの驚異を反芻する意見」様々なものを目にした。


彼の死を知り、初期段階で思ったのは
「彼がコロナで亡くなったのは、彼自身の危機管理がなっていなかったからではないのか?」
「それを指摘する声が少ないのではないのか?」
「彼の死を境界線として志村逝去AC/DC的に言えば、どちらにしてもコロナの驚異を自体には変化がないのに殊更、コロナ驚異視するのはなんなのか?」
ということをだった。


次に思ったのは「亡くなった方への敬意はともかく、なぜ皆が『志村さん』とさん付けするのか?」
「皆が接していたのは『シムラ』ではないのか?」
「喜劇人としての彼の死を惜しむなら、生前の呼称『シムラ』で呼ぶべきではないのか?」そんなことだった。


そんな思いをこのblogに書こうと思っていたら、時間は流れ、多くの情報も僕のもとに入ってきて、更にはそれらを咀嚼して僕の考えも複雑化した。

それは「彼の逝去における世の中の反応に対するシニカルな視点」と「やはり『シムラ』の笑いで育ち、彼のことを好きな一ファンとしての視点」の対立だったのだと思う。


彼の死を誰かを批判する材料に使う人もいる。そして、危機意識の向上に使った人もいる。単純に悲しんだ人もいる。彼が自らの死を賭して、コロナの危険性を世に訴えかけた、という人もいる。

色々な思いがあるのも、彼の存在が本当に幅広く多くの人に受け入れられたからこそ、のことだとあらためて思う。

どう捉えて、どう利用するかは個人それぞれだ。
彼を失ってから数日経った今更、そんなことをいうのも「後出しジャンケン」みたいで卑怯な気もするが、今は本当に彼の死を惜しみ、冥福を祈りたい。

志村けんさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。



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引用した写真は家老が「いかりや長介」の時のバカ殿のワンシーン。こちらも、僕が幼稚園~小学校低学年くらいだったか。腰元役の由紀さおりの台詞の面白さは同時ガキ過ぎた僕にはよく分からず、シムラの反応に声をあげて笑っていたと思う。あと、由紀さおりを相当な美人だと思っていた記憶もあります。今見ても「やはり相当な美人だった」と思うのですよ。