コロナ変化から1年

先週は水曜日、木曜日、金曜日と三夜連続での会食だった。僕は酒を飲むことは好きだし、3日続けて飲むということも特に珍しくはないのだが、3日続けて人と飲むのは実に珍しいことだった。

コロナが流行ってから、僕は本当に外で飲まなくなった。この習慣は今でも続いていて、沼津に越してきてからも滅多に外で飲まないから沼津の美味しい店なども知らない。自宅でそれなりに美味しいものを食べるのである。

コロナ以前までは外で飲むことの価値をちゃんと考えることもなく、惰性で習慣のように、それこそ普通のことのように外のどうでもいいような店で飲むこともあったのだが、外食自体が普通のことではなくなると「どうでもいい店で飲むことの愚かさ」にちゃんと気付けるようになった。

そんなことに気付くかどうかも関係なく、外で飲むことが禁じられるような雰囲気だったので、これにより、閉店した店も多いのかと思うが、それは「日本の洗濯」のようなものであり、僕から見るとコロナの良かったことの一つだと思っている。

そして、気軽に人と飲みに行かなくなったことはコロナの良かったこと、功績の一つなのだけど、この功績は徐々に失われ始めている。

それまでは全く感じていなかったのだけど、コロナにより人と飲まなくなり、自宅で自分ひとりとか余程仲の良い仲間と一緒にゆっくりも飲むようになり、時間を有効に使えることに気が付いた。人と飲むことを当たり前だと思っていたが、それには金も時間もそして気も遣う。これがなくなることがこれほど快適だということにコロナが気付かせてくれた形だ。

コロナの間も僕は酒を飲んでいた。そして、酒好きな仲の良い仲間とも「禁酒法時代のシカゴの街でこっそりと秘密のバーに集まる」ような感じで我が家で一緒に飲んでいた。

我が家に呼びたくないような人というのは、やはり特に仲も良くなく人で、そんな人とは飲まなくても全く支障がないし、むしろストレスを感じずに距離を取ることが出来て快適だった。

 

コロナが第5類に引き下げられてから1年になる。別に病気としての質が変わった訳でもなければ、特に特効薬が登場した訳でもない。本質的なものは何も変わらないのに、人の生活スタイルはこの1年で大きく変わった。

僕はコロナの間も基本的にはマスクをかけなかったし、得体の知れないワクチンにも接していない。大前提として人混みに出掛けることは避けたし、人との接点も極力減らした。

しかし、個人の安全を確保したうえで旅行にも普通に出掛けていたし、会食も行っていた。あの時期は観光地も空いていたし、ホテルも安くて本当に良かったが、「コロナ5類」以降、その快適な環境は崩れてしまった。

あれだけマスクを好きだった人がマスクもせずにそこらの観光地に沢山いるのだ。ホテルもこれまでの分を取り返すかのように値上げした。

この掌を裏返したかのような変化は国による規制の有無によるものだと思う人も多いかと思うが、どうでもいい規制を鵜呑みにして同調圧力まで醸し出すような馬鹿な群衆が日本に多いことの方が影響しているのだと強く感じる。

ものの本質を考えず、決められた事にはなんとなく賛同し、決まったことの是非を考えることも放棄するような馬鹿のことだ。

この手合が本当に多いから、意味もなく経済にブレーキをかけるばかりの行為に同調し、それらが解禁されるとその失敗や責任の所在を考えることもなく、何事もなかったのように以前の生活に戻る。

以前の生活に戻すなら戻すで、何が失敗だったのか?こうした失敗の防止策は何をすべきだったのかの検証しない政府。政府の馬鹿騒ぎ加減を糾弾しない群衆。人の「考えることを放棄する」度合いは確実に進んでいる。