手塚治虫という天才

僕がわざわざ語るまでもないことだが、僕は手塚治虫という作家を「間違いなく天才」だと思っている。

これは小学校高学年あたりから氏の作品に心酔し、今では頻度は随分と少なくなったが、手塚漫画に接する度に思うことだし、歳を取れば取るだけ「やはり彼は天才なのだ」という確信が確固たるものになっている。

細かなことを論じる評論家先生によれば「彼は努力の人だ」という説もあるのかも知れないが、幾度となく見舞われたスランプ期を乗り越えて、僕を喜ばせる作品を作り続けた功績は、やはり努力のうえにある彼の天才性によるものだとしか思えない。

手塚治虫が鬼籍に入ったのは僕が中3の時だった。2月10日だったように記憶しているが、このブログにそんなことを記すにあたりわざわざそれを確認など敢えてしない。

中1の頃に、手塚治虫宛のファンレターを葉書に丁寧に記したのだけど、それを投函することにも気後れしているうちに、そんな葉書は僕の学校鞄のポケットで長らく保管されることになり、そのうちに氏の逝去を迎えることになったのだった。

そんなことを思い出したのは「受験真っ只中の娘からの連絡」によって、である。

彼女が受けた大学の受験問題に「手塚作品ではないものはどれか?」というものが出題され、その問題に翻弄された娘からのラインメッセージにより、手塚治虫に関する問題が今年の受験に登場したことを嬉しく思った次第…。

僕にとっては簡単過ぎる問題なのだが、僕が中1のときにファンレターの葉書に記した住所「新宿区高田馬場」に近いところで、娘が「手塚治虫というワード」に接したと思うと、なんだか嬉しく感じた。