「作」伯父さんの思い出①

「作」と描いて「サク」ではなく、「ツクル」と読む。

僕の伯父さんの話をしよう。


ツクル伯父さんは僕の母に何人かいるオニイさんの一人だ。母とは幾つ歳が違うのか細かなことは分からないけど、母よりも多分7つとか8つとか歳の離れたお兄さんだと思う。

母が小学生の頃には高校生だったような話を聞いたことがあるからそう思うだけなのだけど…。


その「ツクル伯父さん」は昨年他界した。
どのような晩年を迎えられたのかは僕は知らない。

親戚の集まり(と言っても、おそらくこの20年くらいは誰かの葬式くらいか?)でしか会わなくなっていたのだけど、子供の頃はよく可愛がってもらった伯父さんだ。


ツクル伯父さんは学校の先生で、尚且、子供の頃から漫画の好きな伯父さんだった。

僕が小学生だった時には一緒に「青年宿泊所」みたいなところで2泊くらいのキャンプに一族数家族ではなく出掛けて、キャンプファイヤーの際に手作りの「鉄腕アトムお面」でその場を盛り上げてくれたことを覚えている。

眼の前で数秒のうちに書かれた自作の「鉄腕アトムのお面」は、子供の僕には眼の前に手塚治虫がいるのではないか?と思うほどに驚いた記憶がある。そのくらいにツクル伯父さんはイラストが上手かった。


その数年後には、僕はガチガチの手塚治虫ファン…というか手塚治虫ヲタクになっていた。

ツクル伯父さんは自転車で20分くらい離れたところに住んでいたから、中学生の頃は手塚漫画を読みたい…という一心でツクル伯父さんのうちに遊びに行き、伯父さんや伯母さんとは大した話もせずに、ひたすら漫画を読み耽る数時間を過ごしていたりしていた。