引越作業

2018年の5月の終わりに引越をした。この時の行先は東京築地で、ここに何年も住むことになるだろうと思っていたら僕の期待とは裏腹に2年も過ぎないうちにこの街を去ることになった。

築地を離れることになるなど思い浮かべていない頃に僕はこのブログを書き始めたので、その時の引越の様子は一部ではあるがこちらに書き留めている。

そして昨日、僕は沼津に引越してきた。前のウチはそれこそ、本当に長く住むことになるだろうと思っていたし、それを見越して比較的広いところに住んでいたので家財道具もしっかりと揃えた。ベランダも広く陽当りも良かったのでベランダ菜園に精を出していたこともこちらに記した通り。

そんな気に入っていた住処を離れるのだから、気持ちの問題も勿論大きいのだが、それ以上に家財道具の運び出しは大変な苦労を伴うものであった。

元来「ミニマリストとは程遠い」生活を送っている男である。無駄なものなど一つたりとも買った覚えはないのだが、一人暮らしのおっさんが持っているものとしては相当に多くの道具を新居に運ぶことになった。

転勤の内示から2週間での引越。大急ぎで知らない町での新居を探して引越し業者を手配して、その間には残務整理やら引継ぎやら、そしてありがたいことに送別会などもあったりするので「断捨離」など一切考えることもなく、「わさっと家財道具一式を運ぶ…」のである。尤も、こうしたものの梱包から運び出し、そして荷解きに至るまですべてを業者の方たちに委ねたので、僕が大仕事をした訳でないのだけど…。

3年前に引越した時、ベットの置いてあるところと居間を区切りたく、尚且つ通気性や採光は妨げないように…との考えからパーテーションを自作した。

ある意味、壁のようになるウォールパーテーションは充分な大きさのものがないばかりか、デザイン性にも難があったし何よりも値段が高かった。古民家の格子戸を2枚くらい購入することも検討したが、味のあるものは矢張り高価で、尚且つ、上背も幅も充分なものではなかった。

そんな訳でほぼ1日を費やして手に豆を作りながら奮闘して設置したパーテーションも、業者作業員たちにより僅か30分くらいで無事に解体された。

こうして、やって来た時とだいたい同じような状態になった我が家。

陽当り良好、僕にとっての立地も最高、家賃も充分満足、管理組合の婆さんがやたらにうるさくて生活に介入して来ることを除いては本当にイイ部屋だった。

「またこの町に戻るならば、ここに住みたい!」と思うところなのだけど、そんな都合好くことが運ぶこともないだろう。そんなことよりも、新居をどのように快適にするかとか沼津をどう楽しむか?そんなことに軸足を持っていくべきだ。

住めば都、人間到る処青山あり…そんな言葉を思い浮かべながら、僕は昨日この町を去った。