諦めたら試合終了だよ。

ばたばたとした引越作業が迫る中…というか、引越する日の前日、僕は中学生の娘の運動会を見に行っていた。その様子は数日前にもこちらに記したとおり。

中学校の運動会なんて、特に親が見に行くようなものでもないと思っているし、僕自身も中学生の時に親が学校行事を見に来たような記憶もない。入学式と卒業式くらいだろうか。35年くらい昔のことだけど…。

中学生にはガキなりにも自分の世界があり、それに向けて自分自身で頑張ったりテキトーに手を抜いたり要領よくやろうとしたりとか…もう、親とは関係のない個々の世界での行動のように思っていた。

ところがだ!娘は「親兄弟が観覧に来ること」を楽しみにしているようだったし、引越により娘との物理的な距離が離れることもあり、この日は運動会見物に出掛けた次第。

数年ぶりに入場制限なしで観客を招いて開催されたこの運動会は「大運動会」と銘打たれていたものの、コンテンツ的には全く「大」でもなく、ちょろっと運動会っぽいことをやりました…みたいなものだった。別にこれをコキ下ろすつもりはない。

各学年、生徒が参加する競技は3つ。娘が参加していた競技は「全員参加リレー」「ムカデ競争」「玉入れ」という、昭和の町内運動会ならば別にエキサイティングでもない「まったりとした競技」だった。

「男子生徒たちによる乱闘必死の騎馬戦」とか「女子生徒によるメルヘンチックな創作ダンス披露」とか「筋力の耐久戦である組体操」、そして「思春期の中学生にはドキドキワクワクのフォークダンス」などが展開されることはなかった。

こうした種目は既にとっくに絶滅しているようで、なんともユルい競技をもって「大運動会」とされていることを寂しく思った。しかし、競技のラインナップとは別に「イイ光景」を見ることが出来た。

昭和育ちのおっさんからすると、なんとも肩透かし感を拭いきれないプログラムであったのだが、会場に到着してそうそうに見た「全員参加リレー」が素晴らしかった。

 

リレーというものは「俊足自慢のクラスの韋駄天たち」が脚光を浴びるために存在するステージのようなものなのだが、全員参加となるととにかく走ることが苦手で仕方のないような子も走ることになる。

勝負の行方を左右する出走順についてはクラスごとに各種作戦を練っているようで、「先行逃げ切り型」を狙うクラスもあれば、「後半の怒涛の追い上げ」で勝利を目指すチームなども見られ、クラスごとの努力とそれが結果に結びつくのかどうか?がとても気になる競技だった。

しかし、そんな各クラスの作戦以上に僕が気になったのは決して足の早くない子がそれでもとにかく一生懸命に走る姿だった。

彼(なり彼女)たちには、「精一杯走っとかないとクラスのリーダー格の奴らから後から責められるし…」なんて思いもあったのだろうけど、理由や原動力はどうであれ、少しでも早く走ろうと必死に奮闘する中学生たちをの姿を見ながら、僕は涙を流していた。気持ちの悪いおっさんなのだけど、色眼鏡を掛けているのでその様子は誰にも気付かれることはなかったはずだ…。

 

結果などイイに越したことはないけど、どうでもイイのだよ。とにかく一生懸命に走れ!君が遅くても頑張ることが大切だ。諦めたら試合終了だよ…。そんな僕の思いを背負ってくれているのか?というくらいに、皆の走る姿は清々しいものだった。 

中学3年生の彼らは、あと半年後にはそれぞれの学力に応じて進学とか就職する。そこには既に社会的なヒエラルキーのふるいが掛けられているのだが、何処にいても「精一杯頑張ること」は大切なものだと思う。

結果はイイに越したことはない。しかし、一生懸命に頑張ってもいない状態で得た勝利に喜べるものなのだろうか?

彼らにはこの先いつだってこの日のリレーの時のように全力疾走で走り抜けてもらいたい。困難に出会ったとしても諦めたら試合終了だよ……なんてこと言ってる暇があるなら、お前(僕自身)が頑張れよ!

…そんなことを考える運動会だった。