datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

クリスマスイブ

クリスマスイブの今日は神に感謝しながら、厳かな夜を過ごした。昼から降り始めた雨も雪へと変わってきたようだ。

…なんてことは全くの嘘で、いつものように莨をやりながら酒を飲んでメシを食べて、音楽を聴きながら過ごしていた。写真は何年か前にガキどもへのクリスマスプレゼントに添えたものだ。

数日前からスーパーの惣菜売り場では鶏のモモ肉を焼いたやつとかそれを揚げたやつとか、小振りの切身にした鶏の唐揚げが「ここぞとばかり」に売られていた。

特に美味そうにも見えないそれらなのだけど、結構イイ値札が付けられていて驚いた。骨付きの鶏のモモ肉に化学的な旨味たっぷりのタレを塗りたくって焼いておいて、それがとっくに冷えていて固くなったようなものが一つ500円とか600円くらい。

昼間に弁当を買いに出掛けたら、「本当に普段着のような、なんということもない普通の弁当」の売場はすっかりと縮小されていて、日本国民全てが敬虔なキリスト教徒にでもなって今夜を祝っているのかと思うほどだった。…嘘ですよ。

だが、買物客のお母さんっぽい人たちは前述の旨味たっぷりダレで焼いたモモ肉を幾つも買っていくのだった。家族分、一人に一本買っているのだろう。自宅で焼いて、焼き上がったばかりのものを食べりゃいいのに…。見たくもない光景に出くわす昼だった。この数日は日本人の鶏肉消費量(それも出来合いのもの!)も普段の数倍に跳ね上がっているのだろう…。

 

明後日からは境界線を引いたように「大晦日を大袈裟に喜んで過ごし、新年の到来を心から祝いましょう!それには普段食べないような御馳走が必要です。割高な食材をふんだんに用意して!」というような売場構成に変わる。

年中行事を楽しむこと、そしてそれを盛り上げるための華やかな食卓には大いに賛同する。そして、恋愛への努力を惜しまない若者とか、クリスマスを家族とともに楽しむ一家の方たちが「コミュニケーションのいい機会としてクリスマスを利用する気持ち」は分かるので、「この時期の御馳走セールス」特に否定はしない。

しかし、特にクリスマスセッティングでもない普通の良質な食材もちゃんと売れよ…と強く思う。買物に便利な街に住む人には「そうしたまともなもの」が売られている店も存在していて、そんなところを選んで利用出来るのだろうけど、僕の住む田舎町のスーパーはどこもかしこも示し合わせたかのように「バカっぽい割高御馳走」を売っていた。

今日は「特にクリスマスとは関係のない夕食にしよう」と思ったので、帰宅途中のスーパーで魚売り場を見てみたのだけど、そこにも「どうでもよさそうなパックに入った握り寿司のファミリーセット」とか「Merry Christmas!なんてシールの貼られた刺身の盛合せ」みたいなのばかりが売られていて、普通に美味そうな食材は見当たらなかった。

結果、僕は鶏肉と白葱を買って帰って、それらを串に刺して塩焼きにして食べる…というロマンチックな夜を過ごした。

…って、僕も「日本国民の鶏肉消費量上昇」に大いに貢献していた…。昨夜も鶏鍋を食べたし…。

昨夜の鶏鍋の残り物はすっかりと煮凝りになっていた。ゼリーというよりも水羊羹くらいの硬さ。グリルで炙った鶏と葱を食べてから煮凝り鶏鍋を温めて、鶏のおつゆを吸い込んだ豆腐を食べる。どれだけ鶏好きなんだ!?お前は…という献立だ。

独りで過ごす僕には特にキリストに感謝する気も起きないのだけど(彼に感謝する関係性もないのだが…)、養鶏業者やその流通に従事する方たちは「クリスマスに便乗してそれらの消費を促して儲けたい」という思惑に乗った僕に感謝して欲しい。