クリスマスというものにときめかなくなって数年経つ。
子供の頃はおもちゃを貰えるということにとにかく喜んだ。何よりも新しいおもちゃが手に入ることが嬉しかった。
贅沢な子供のように思われるのかもしれないが、小さな頃は特に御馳走に喜んでいなかったように思う。それは別に僕のウチが美味しいものに溢れかえっていたという訳ではなく、単に御馳走と呼ばれるものの美味しさとかありがたさを理解していなかったから…。世間的にいう御馳走を本当に喜ぶようになったのは10歳を超えて以降のことのように思う。
幼稚園の時にクリスマスに親戚のおじさんからソリを引くサンタがレリーフになった大きなチョコレートをもらったが当時の僕はそんなにチョコレートを好きでもなかった。それよりも煎餅とかポテトチップなどの塩っぱいお菓子を好んだ。
だからクリスマスあたりの時期に大きなチョコを貰ったもののそいつは長らく無くならずにいたのだけど、1ヶ月とか2ヶ月経ってから大きなチョコを小さく割ってそれを口中で舐めて溶かしながら食べると美味しいことに気が付いた。
それまでの僕はチョコを齧って大して溶けることもないうちに飲み込んでいたのはずだ。この発見によりチョコレートが普通に好きなお菓子の一つになったことを覚えている。
ちゃんとした食べ方を知らないから、あるいはその食物のどこをフォーカスしたらいいかを理解していないから、それが持つ本来の魅力を味わえていないこと…なんて結構あるのではないだろうか。
僕の長男と長女は大学生になりそれなりに人気のある鮨屋でアルバイトなどしているが、彼らが回転寿司にしか行ったことない子供の頃は青魚全般を嫌っていた。安価な回転寿司のネタだから生臭いこともあったのだろう。
これは本来の美味しさを持つちゃんとした食材を食べなかったこととが大きな要因なのだろうけど、酢で締めた酸味の奥になる魚の旨味を感じ取ろうとしないで最初の酸味にばかり意識を向けているとその味は分からないものだろう。今では
子供からオトナになるうちに味覚についても色々な経験によって成長してくるので、前述の魚の旨味を探るようなことも知らず知らずのうちに覚えていたりする。
我が子たちは今では鯵もコハダも喜んで食べるようになった。コストパフォーマンスのことも分かるようになるとその美味しさは尚更になる。
…って、クリスマスのこととは関係のない味覚のことばかりを書いているのだが、クリスマスに全くワクワクもしなくなった僕は12/24に「なんちゅうこともないメシ」を食べながら、こんなことを考えていた。

この夜は数日前に仕込んだ「冬至で買った柚子の皮を白菜漬にまぶしたもの」を食べながら酒を飲んで過ごした。
あと、帰宅途中にショートケーキでも買って帰ろうかとも思ったが、特別に好きでもないもの…いや、好きではあるが別に食べなくても我慢できるものをクリスマスだからといって買って帰ることも下世話なような気がしたので、漬物のあとはオムレツを焼いて食べた。
若い頃はあれだけワクワクしていたクリスマスも今になっては本当になんちゅうこともないイベントである。なんだか寂しく思うような気もしたが、商業イベントに踊らされることもなく、過去の思い出と今の生活をゆっくりと考えられる夜もいいものだと思った。まあ、これは全くクリスマスの夜でなくても出来ることなのだけど…。