カボス

秋になるとカボスやらスダチを買う。今週頭のことだが、僕はカボスを4玉150円で買ってきた。

このブログにもよく書くが「大分ではカボスはわざわざ買うものではない」とのことだ。これは大分出身の僕の友人による情報なので、そのまんま受け入れてはいけない…とは思っている。

もう3年前のことになるが、その友人を訪ねて大分に遊びに行った際、飲食店の立ち並ぶ夜の街角でも多量のカボスが売られているのを見た。

これは「その3年前の写真」だが、僕が暮らしたことのある町で売られているカボスよりも信じられないくらいに廉売されているので「大分ではわざわざ買うものではない」という感覚になるのも頷ける話である。

まあ、食文化(と言うか、食材文化)というものは、その土地それぞれに色々とあるし、土地柄に加えて旬や名残の時期などの影響も考えれば、各地に「他の土地では高価であっても色々な安価なもの」というのが存在するものだ。

 

さて、昨夜のことだが、僕は買って間もないカボスを美味しく食べたいと思い「カボスへの好適品」を探してスーパーに立ち寄った。

本場大分の方々は柑橘が合う食物(オカズ的なもの)にかけるだけでなく、焼酎に絞り入れたり(これは普通…)、味噌汁にもカボスを絞って飲むそうだ。しかし、カボスを絞りかけて食べるものの王道と言えばやはり焼魚だろう!…と思っているので魚を探したのだが、僕の帰宅導線上には美味しそうな魚は売られていなかった。

しかし、一度入れてしまった「今夜カボスを食べようというギア」は既にニュートラルポジションには戻せないほどに入り込んでいたので、(ある意味仕方無しに)鶏の胸肉を買って帰った。

鶏胸肉を大振りに切り分け、塩と酒と生姜に漬け込んでしばらく待つ。本来なら数時間漬け込んだものの方が美味しいように思っているが、90分くらい漬け込んだ胸肉に片栗粉をまぶして調理する。

それがこちら。鶏の唐揚である。

「唐揚と言えばモモ肉でしょう!」という人は多い。僕もこの意見には異論はない。特に外で買ってきた唐揚では胸肉はやたらにバサバサして口の中の水分持っていかれるように繊維質ばかりが口に残るものが多い。

それに対してモモ肉の鶏唐揚は脂質もしっかりと含んでいるので、出来合いのものを買ってきても胸肉と比較すればジューシーなものが多い。

まあ、モモ肉の唐揚であっても、揚げ過ぎていてやたらにバサバサしたものもあるから「モモ肉優勢説」というのも、やはり「そもそもの調理技術」によって大きく裏切られることもあるのだけど…。

しかし、自炊で唐揚を作るならば(その調理過程を自己研鑽のようにポジティブに捉えられるならば)、胸肉の唐揚作りは本当に面白い。下味の付け方や揚げ方によって、その唐揚のクオリティはめちゃめちゃ大きく変わるからだ。

水分(肉の持つジューシーさ)を損ねないように揚げ、そして揚げたばかりのそいつを熱いうちに食べる。

しっとりとした肉の中にある淡白な旨味。モモ肉であれば、少々乱暴にあげても肉の特性により誤魔化すことのできる美味さが胸肉の場合は作り方に大きく左右される。そういう点では「鶏の胸肉を美味しく調理する」という行為は本当に楽しい。

こうして作った唐揚に、昨夜はふんだんにカボスを絞って食べた。鶏の唐揚とカボス。大分らしさ満点の食事であったが、鶏の唐揚にはカボスでなくともレモンでもよかったような気がする。…いや、たおやかな酸味を持つカボスよりもレモンのパンチ力の方が適していたのだろう。…と今になってはそう思う。

カボスはまだ3玉残っている。次は美味そうな魚を焼いて、そいつでカボスを賞味したい。…と思っているが、昨日漬け込んだ胸肉がまだ半分残っている。これにカボスを絞るかレモン汁をかけるかは決めかねているが、買ってきたカボスは新鮮なうちにちゃんと美味しく食べたいと思う。