変わって欲しくないもの

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昨夜、感じたことを記す。

この数週間汗を流している「引越後の自宅整備」も、ようやく一段落…というところまで進んだ。昨日は遅くまで作業していたのでとても疲れていたが、自分で祝杯をあげようと思い「普段飲んでいるものよりイイ酒」を買ってきた。作業後の夜に買ったのではない。祝杯を見越して昼間に買っておいたのだ。


普段はブラックニッカのペットボトルを買ってきて、ガラス瓶に移して冷凍庫で冷やしたものを飲んでいる。

ペットボトルで買った方が、リッターあたりの価格が安いから…というのもあるのだけど、ガラス瓶を捨てることが資源の無駄遣いをしているようで、どうにも嫌なのだ。


昨夜の酒は「グレンリベット12年」。
ウイスキーを語る人の意見はよく知らないが、新緑の眩しい森林の爽やかさ…とでも言うように、その香りとみずみずしい深みが好きだ。僕だけの感じかたなのかも知れないけど。

そんなわけで、この20年くらい、美味い酒を飲もうと思うときにはこれを買い求めている。この数年はすっかりブラックニッカが常酒(じょうざけ・僕の造語であるが)になっているので、半年に1本買うくらいの頻度だろうか。


半年ぶりに買った「グレンリベット」はその姿を変えていた。箱やラベルはティファニーよりの青緑。ボトルも濃い緑のものからクリアなものに変わっていた。若い女性にもウケそうなポップな外見に刷新されていた。

肝心の味は…。
これもまた、若い女性ウケにもそうなポップさを感じた。熟成に12年を要す訳だから、意匠の変更と共にポンと変わるわけはないから、そう感じたのは気のせいだろう。12年前から今回の刷新が計画されていたとは考えにくいからだ。

平素飲んでいる安いブラックニッカに慣れすぎていることも、そう思った要因だろう。

しかし、僕の口と体はグレンリベットの変化を感じた。…くどいようだが気のせいに違いないのだろうけど。


ものにはその時その時のニーズに合わせて変化をしていく方が良いものもある。多くの商業商品がそうならざるを得ないことだろう。

でも、生活の一部となり、僕にとってスタンダード化されたものについては極力変わってほしくない。我が儘なのは分かっているが、やはりそう思うのだ。