瓶が欲しい

昨夜は山葵を漬けた。新芽を使った醤油味のものと大きな茎を使っての粕漬け。

前の職場で「空瓶のある人は僕にください」と募っていたら沢山の空瓶が集まった。一人当たり3つとか4つとか空瓶をくれるので、そのうちの一つにはなにかの漬物などを詰めて空瓶のお礼に渡したりしていた。

今の職場はメンバーも少ないので空瓶を集めたりもしない。したがって、今回の山葵漬でウチにある空瓶は大凡なくなってしまった。

職場のメンバーはお返しであげた瓶詰めも全て食べると空瓶として僕に返却してくれていた。しかし、息子娘や舎弟のところに行った瓶は返ってこない。

燃えないゴミの日に捨てられているものを見ると瓶詰めの空瓶が多いことに驚く。資源ゴミとして回収されたガラス瓶は溶かしてなにかに再生されるのだろうけど、こうして沢山の空瓶が捨てられているのと同時に100円ショップでは瓶が売られているのを見ると、なんだか虚しくなる。

捨てられているガラス瓶を見ると持って帰りたくなるのだが、分別のせいでフタはセパレートされていて「容器としての利用価値」はなくなった状態にされている。このため、捨てられているガラス瓶は持ち帰るに値しない。

使えるものを平気で捨てて、わざわざ金を払って物を買い、そしてそれをまた使い捨てにする。それでいて「日本は貧しくなった」と声高に叫ぶ。

他の国と比べての給与額の一つの数値ではあるが、その数値ではなく、「ものを考えたり工夫したりして生活すること」を放棄した馬鹿が増えてることで、日本人の生活態度そのものが貧しくなったのではないかと思う。