「やさぐれる」メカニズム

やさぐれる」なんて書くと、相当に生活が荒んでいるように想像する人が多いのだろう。


怠惰な生活を送り、失業、そしてギャンブル狂い、嵩む借金。ここまでくれば違うことのない「やさぐれ」だが、幸い僕の今の生活にはそのあたりの要素はない。

しかし、少し前と比べると確実にやさぐれているのだ。生活の各所に怠惰な面が増えてきた。


自分のだらしないところながら、そのバロメーターとして分かる生活の変化を挙げてみよう。

■コンビニメシとか即席麺とか製品食事が増える。
■朝、なかなか起きられない。
■飲む回数は減っても、飲む深さはより深くなる。
■流しの洗い物が溜まる。
ソーダ水を作らなくなる。
■部屋が今ひとつ片付かない。

このあたりが、僕の身の回りで起きている「やさぐれ現象」だ。大したことのないように捉える人もいるかも知れないが、僕にとっては大きなことである。

理想的とかではなく「とりあえず普通の生活」を送るうえで、上記のような状態ではダメなのだ。こうしたことを見逃していると、必ず何かが破綻する。きっと、僕が不幸になるのだ。分かっているのだ。



では、どういう経過で生活が変わっていくのかを挙げてみよう。そのサイクルについてもよく分かっているのだ。

①仕事が忙しく、帰宅も遅くなる。

②夕食の支度が面倒でコンビニメシを買う。

③どうも満足感が得られず、過食する。

④翌朝の目覚めも悪く、体も重い。

⑤気分が晴れないので自炊して
 酒を飲むが、深くなりがち。

⑥またもや仕事で遅くなる日がある。

⑦深酒の疲れもあり、またもやコンビニ過食。


①〜⑦のスパンを繰り返してしまっては蟻地獄である。このサイクルの中で、過食が増えると胃袋も大きくなり、過食が恒常的なものになってしまう。これが恒常的になってくると、慣れてしまっているのだから、こうしたことに罪悪感も嫌悪感も抱かなくなる。これが一番恐ろしいことだ。

食や生活に対しての向上心や探究心、そして行動力すら失ってしまうからだ。偉そうに言えたものではないが、自分自身が何年も体験してきた「やさぐれ生活」だから、そのダメさ加減もよく分かっているのだ。

では、何をすればこうなることを防げるのか?
それもよく分かっているのだ。

まずは「仕事の忙しさを無くすこと」。これが一番いいけど、自力ではどうもできないことが多い。

では、なにするべきか?
とにかく「マズいものを食べないこと」だ。

化学的に作られた「表面的に美味しい味」を纏っている食べ物は、美味しく感じる。しかし、腰の入った満足感はあまり得られない。それどころかもっと食べたくなったり、他の濃い味のものが欲しくなったりすらする。

工業製品のようなメシは手軽で便利だ。
帰宅途中に買えば、家に着いてすぐに食べられる。
その魅力は充分に分かる。
僕は昨夜もコンビニメシを食べたのだから。

しかし、これではいかん。
全廃出来ずとも、とにかくコンビニ依存度を減らす。
ちゃんと作ったちゃんとしたメシを食べる。
こうした一歩から「やさぐれ生活」かつから脱却しよう。

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※「やさぐれ生活」とは無関係の休日の朝の一時。
ゆっくりと掃除をして、布団を干して、アホのようなものを食べたりせずにコーヒーを飲んで寛ぐこと。別にこのコーヒーが日本茶でも良いのだが、自分の生活が地に足がついたものであるかどうか?それを振り返るには、こうした時間が大切だと思う。