「けんちょう」についての思い出

寒い冬の日が続いている。

僕の住んでいる地域が全国的も温暖なところなので、冬の気候に応じた楽しみが少ない…なんていう意のことは、このブログにもう何度も書いている。

そして、「そんな温暖なところに住んでいるくせに、寒いと感じるものは寒い!」なんてことも飽きるくらいに書いたのだけど、やはり寒いと思うものは寒い!


さて、全国的に比較をするならどれだけ気候に恵まれている所に住んでいようとも、そこに住む僕が寒いと感じるのだから、このところ「寒い時に美味しいと思うもの」をよく食べる。

そして、そうしたものを美味しく食べるために日本の四季というものが存在するのでないなのだろうか?と思うくらいだ。



さて、今日はそんな食物の代表格である(あくまで極私的な話)「けんちょう」について記しておこう。

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大根と人参と炒めた豆腐という「3種類の具材」を出汁で煮ただけの料理。

「ここで行う簡単な説明だけ」では本当にシンプル極まりない料理なのだけど、この料理は変に凝ったりせずにとにかくシンプルに作ることが大切なのだと思っている。シンプルな料理こそ、ひとつひとつの素材や材料の味が生きる。けんちょうの美味さというものは「シンプルな愚座を生かした調理」のうえに成り立つものだと思う。



僕がこの料理を好きになったのは大人になってからだ。田舎の郷土料理で各家庭でもよく作られていたものだろうから、勿論僕の育ったウチでも食卓に頻繁に登場していた。

田舎の貧乏家庭で育った素性をモロに体現する僕の母親は「けんちょうをメシにかけてかき込む『けんちょう御飯』が好物」だった。

彼女のあの食べっぷりを見た人なら誰でもそう思うくらいの食べっぷりだった。そして、少年時代の僕は「母親が汁かけメシをかっ込む姿」を見てはゲンナリとしていたものだ。

母の姿にガッカリとしながらも、少年期の僕は「いや、それでもこの『けんちょう』という食物は結構美味いぞ」と思っていた。母への反抗心から堂々とメシにかけてガツガツとかき込むということはしなかったのだけど…。


そんな「けんちょう」が僕の心の中で陽の目を浴びたのは中学生になってからである。

中学生の時の級友に吉村君という愉快な友達がいた。

彼のお父さんは自動車修理ディーラーの偉いさんだったように記憶しているのだけど、彼のうちのお金持ちぶりの実情はともかく、おっとりとした優しいお母さんが彼のためにそれはそれは美味しそうな弁当を毎日作ってくれていた。

僕の母が仕事の片手間に「とりあえず前の日の残り物を詰めただけみたいな弁当」を作るのとは対象的な「美味しくて見栄えのする弁当」を吉村君は毎日持ってきていたのだ。

弁当に格付けをするのならば、吉村君のウチの弁当は「松」であり、僕の母親の作るものは「梅」もしくはそれ以下のように感じていたものだ。これは当時もそう思っていたけど、今になって思い返して見ても「松と梅以上の開き」があったように思う。彼の弁当には何一つ「余り物とか残り物」という要素がなかったように思えるからだ。


さて、そんな弁当におけるカーストとかヒエラルキーなんて関係なく、中学生の僕達はほとんど毎日、机を並べたりくっつけたりしながら一緒に弁当を食べて、午前中の授業に対する文句とか担当の先生の悪口とか、あるいはクラスの中で嫌な奴の悪口とか昨夜のテレビの面白かったシーンのことを喋りながら、それぞれの弁当を消費していた。



ある日のこと。
そんな吉村君と一緒に弁当を食べていたのだけど「おっ、けんちょうじゃん⁉」みたいなことを僕の弁当のオカズを見た吉村君が言い出して、僕は内心ドキッとしたことを覚えている。

吉村君は日々の生活において思ったことはズケズケという「遠慮のない男」だったから、僕の弁当の貧相さについて、遂に彼なりの感想(それも僕の持ってきている弁当についてのマイナス批評)を発するのだろう…そして、それは我が母のテキトー弁当についての苦言なのだろう…。

「俺もそれは分かっている!とにかく、俺の弁当は貧相なのだ…。それは分かっているからソッとしおいて欲しいが仕方あるまい…。」そんな風に僕は覚悟を決めた。