前回に続いて、冬の味覚「けんちょう」について記す。
大晦日に娘と一緒にけんちょうを作った。これは「娘が学校で育てた大根を調理実習のように料理しよう」という課題が出ていたので、僕だけではなく娘も好きな大根料理として「けんちょう」を作ったのだ。
その多くを娘に持ち帰られせたのだけど、残ったけんちょうは正月料理として頂いた。けんちょうなんていうものは庶民的な冬のオカズに過ぎないのだけど、大根と人参と豆腐を塩味で煮付けた食物である。紅白の色合いがめでたい正月料理のようなので、僕にとっては御節に匹敵するような食物であった。
さて、年が明けてから数日、けんちょうを食べる日が続いたのだけど、2週間もすると再びけんちょうが恋しくなった。
そんな訳で「今年初のけんちょう作り」を行ったのが数日前のこと。それ以来、毎日のようにけんちょうを食べているが、やはりこれは飽きない食物だ。
温めて熱々のけんちょうを食べても美味しいと思うし、冷えたものを食べても美味しい。酒のツマミにも良し、そしてメシと一緒に食べても良し。好みによるのだが…。
さて、そんな「けんちょう」についての思い出を記しておく。先日の「吉村君」に続いて僕の中学生時代の友人の思い出でもある。
中学2年の頃のことのように思う。今日のような冬の寒い日に僕は1級下の野村君という後輩たちとともに部活を終えて帰宅していた。寒い冬野夕方のことである。
他愛もない話をしたり、割と元気いっぱいにアホの限りを尽くしながら僕たち一行はギャハギャハと笑いながら30分もあれば家に着くような通学路を1時間くらいかけて遊びながら帰るのが中学生の頃の僕の日常生活だった。
そんな中学生の頃のアホな思い出は、また別の機会にここにも記したいと思うのだけど、その日はそんなにアホなこともせずに皆で喋りながら帰っていたように思う。
するとそんな会話の中で「こんな寒い日は早く家に帰ってヌクいけんちょうを食べたいねえ」「そうそう、よう炊けたやつは美味いねえ」みたいなことを後輩である野村君と別の後輩である阿川が喋っていたのだ。
当時、中2だった僕は、こうした会話がひとつ下の後輩たちから発せられていることに驚いた。中年のおっさんみたいではないか!しかし、俺もそう思う。
その後、けんちょうについての会話が弾んだのかどうかもよく覚えていない。しかし、前回の吉村の発言に続き、後輩の野村&阿川、両君の発言により、僕は「それまでは家庭的過ぎる庶民料理で、ともすれば我が家だけの貧乏料理であり、なおかつそれをメシにかけて食べるのが好きな誇らしくもない母親がいる」という事実を、当たり前のこととして受け入れるようになったのである。
以来、僕は「けんちょうかけ御飯」を大いに認めているし、昨夜も御飯にけんちょうをかけて食べた。
なんと言うこともない田舎料理なのだけど、僕にとっては大切な冬の味覚である。