豆が美味しい時期

4月の下旬くらいから8月のお盆くらいまで、豆が美味しいと思う時期だ。


子供の頃はグリーンピースの炊き込みご飯「豆ごはん」がとても好きだった。中学生の頃には昼の弁当が豆ごはんだと嬉しかったことも覚えているし、友達と「豆ごはんは例え具としての豆がなくても豆の香りがするごはんが美味い」などと話していた事もある。

それまでも春に食べていたのだろうけど、豆ごはんが春の食物だと意識し始めたのも中学生の頃である。


そして、夏がやって来ると食べる枝豆。
子供の頃は味の違いなど分からなかったが、大人になると美味いものと不味いものとの差がはっきりと分かる。

スーパーの冷凍食品で売られている手軽に食べられる枝豆はまず不味い。豆の香りもしなければ穀物感もなければ甘みもない。あれは「オツマミと言えばまずは枝豆」という固定観念を逆手に取った「悪質で工業製品的な食物」だと思っている。

また枝豆については生で売られているものにしても値段の差は大きく、美味さにおける差も大きい。茹で方も大きく美味しさを左右する。

…って、今回記すのは枝豆についてではなかった。空豆について書こうと思う。


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この間から何度か空豆を食べている。

スーパーで半額になった古いものを買って来て食べているのだから、そんなに新鮮なものではないだろうし、もぎたて空豆を楽しむ習慣のある人には噴飯モノの「大して美味しくもないもの」なのかも知れない。

しかし、僕は空豆は美味しいと思う。

この豆を美味しいと感じるようになったのは大人になってから、それもこの数年でのことである。

鞘から剥いた豆を多めの塩で茹でる。それも茹で過ぎなくらいに茹でたものの方が皮も柔らかいし、中の豆もとろっとしていて美味しいと感じる。

空豆の正しい茹で方とか美味しさを調べると「茹で過ぎに気を付けて青い香りを生かして…」なんてことをよく見るので、僕の食べ方は随分とおかしな食べ方なのだろう。

確かに程よく若めに茹でたものの方が豆自体に青い香りが残っている。しかし、分厚い空豆の皮は固く食べたくない状態だ。

茹で過ぎると皮は柔らかく食べ易くなるが、豆のホクホク感は失われるのだろう。豆自体の青い香りも飛んでしまうようだが、豆の香りは皮に残っている。皮ごと食べれば青い香りも楽しめる。そして、皮とは対象的なクリーミーな豆の旨味を堪能出来る…そう思うから、僕は茹で過ぎくらいのものを好んで食べている。

言い過ぎなのかも知れないけれど、芹を食べる時に野手溢れる香りと歯応えの美味しい根っこを切り捨てるなんて言語道断だと思う。まあ、食べ方にもよるのだけど。
それと同様に空豆を食べる時に皮を捨ててはならん!皮にも皮の旨味があるように思うのだ。



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僕の実家は農家ではないが田舎なので野菜はこれでもかと言うくらい食卓に登っていた。空豆も食べていたのだろうけど、子供の頃に空豆を食べた記憶が殆どない。
「一番記憶にある空豆」は「まんが日本昔ばなし」で薄情な空豆が仲間の苦境を笑い飛ばして、笑い過ぎた為に皮が裂けてしまい痛い目にあう…というエピソードだ。ユーモラスな話なのかも知れないけど、当時の僕は「空豆はダメなヤツだ」と思っていたことを思い出す。