カレーライスの思い出

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昨夜のことだが、久しぶりにカレーを作って末娘に振る舞った。

何度かこのブログにも書いたように思うが、僕は「カレー作り」が趣味だ。スパイスから混ぜて作るやつ。最近では「スパイスカレー」と呼ばれていたりするが、そんな名前で区別化されるのは「大したスパイスも入っていない即席のルーカレー」がカレーとしてもメジャーな地位に収まっているからだろう。


そんなカレーについて、子供の頃の思い出を記してみる。


僕のおじいちゃんは明治後半の生まれだったが、カレーライスではなくライスカレーと呼んでいた。自宅で食べる時のおばあちゃんが作っていたものもライスカレーと呼んでいたし、食堂でライスカレーと言って注文をしていたことも覚えている。

そして、そんなおじいちゃんはカレーにウスターソースをかけて食べていた。僕の生まれた地方では、天麩羅にもソースをかけて食べることが割と一般的なことだったので、ソース自体が全国平均よりも身近な調味料だったのだろうと思う。

この影響を受けて、僕もカレーライスにウスターソースをかけるのは好きだ。そして、カレーにかけるものとしては「生玉子」も我家では一般的だった。

熱く辛いカレーがマイルドになる生玉子。カレーの良さを損ねてしまうような気もしないでもないが、僕は生玉子をかけたカレーが好きだ。

高校生の頃からうちにあった料理雑誌(NHKきょうの料理」だった記憶している)を見て、大阪難波自由軒のカレーを知った時には驚くともに、こいつを食べてみたいと強く思ったほどだ(写真参照)。

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大学生になり大阪で暮らすようになり、数年間憧れていた自由軒のカレーを実際に食べた時は、大して美味しくもなく値段の高さにガッカリとした。

生玉子も乗っていて、ソースも自由にかけられるのに、肝心のカレーに味の深みがないように感じたことを覚えている。

しかし「これはなにかの間違いだろう。次に食べてみたら美味しいに違いない…」と、難波を訪れる度に何度か食べてみたのだが、大学生の間には遂にこれを美味しいと思うことはなかった。


子供の頃は本当にカレーライスが好きだった。
今も好きだけど、今は他の美味しいものを知りすぎたような気もする。

当時のカレーライスと言えば、バーモントカレーとかジャワカレーとか、箱に入ったルーを使った人参とじゃがいもと玉葱の入った「昭和の家庭カレー」である。

子供の頃に母親とカレーライスについて話をしていて覚えているのが「カレー大好き」のことである。僕の母親は彼女が子供の頃に「カレーライス」という言葉は「カレーダイス」であり、それは「カレー大好き」という言葉が語源になったものだ…と思っていたそうだ。

僕も「その説」には大いに賛同したが、既に「ライス」という言葉が白飯を意味することを知っていたので、「その説」を聞いて笑っていた覚えがある。


今でもそうなのだろうが、キャンプに出掛けると当たり前のようにカレーライスを作っていたし、子供会の寄り合いとか大勢の親戚が集まった時なども子供向けにカレーライスが用意されていたこともあった。

幼稚園の時の記憶だが、宿泊訓練に出掛けて皆で作った(と言っても調理の大半は幼稚園の先生が行ったはずだけど…)カレーが大鍋に余っていた。その時に、幼稚園教諭で同じクラスだったガキの一人が「余ったカレーはカレーおにぎりにしたらいいよ。ウチではよくやるよ…」なんてことを言っていた。もう40年以上前のことだけど、間違いない。

当時の僕は彼の発言に対して「白いおにぎりにカレーなんてかけていたら、ベチャベチャして手が汚れて食べれないだろう。こいつは嘘をついている…」とマルっとお見通しだったことも覚えている。


大人になってカレー作りを趣味にするようになって「昭和の家庭カレー」を食べる機会は減った。安売りのレトルトカレーを食べることはよくあるのでチープなカレーを食べることが減った訳ではない。

大きなジャガイモの入った小麦粉でドロッとしたカレー。単純に比較すると手の混んだスパイスカレーの方を美味しいと思うのだろうけど、たまらなく懐かしくなる食物の一つである。