【旅の思い出】田舎町に訪れること

学生時代に住んでいた大阪の街を少しだけ歩いてから、再び鈍行列車に乗り込んで旅を続けた。

どこに行こうか?どこに泊まろうかとは決めていない「ぶらり旅」なのだけど、本当に自由に動き回れる事を1番の楽しみにしよう…という意図の旅である。


大阪からは新快速に乗り、取り敢えず姫路に向かう。車中で次の目的地をスマホで探す。この「スマホ」の存在というのが、本当に大きな存在なのだけど、スマホについては、また別稿に記す。

さて、そんなスマホの力を借りながら、僕はこの日、島根県の出雲を目指そうと決めた。青春18切符は一日乗り放題で、だいたい2,500円くらいの料金になる。その時点で行けるところまで、出来る限り遠くて、そしてその街に魅力を感じるところに行こう!そう考えての判断だった。

「移動に重きを置く日」と「移動をせずにその街を楽しむ日」を設定することが、ケツも痛くなるノロノロ列車旅行においては大旅を楽しむコツのように思っているので、旅の初日は「とにかく移動の日」にするのだ。途中下車して下宿を見に行ってしまったのだけど…。


岡山まで、快速列車とかとにかく便利な山陽本線に乗って、鈍行でありながらもそれなりにスピード感のある列車旅を楽しむ。


去年の「夏旅」では岡山に着く前に旅情が溢れてきて持参の酒を車中で楽しみ始めた。しかし、車中での酒というのは「瞬間は楽しいけれど、その後のキックバックも大きいので、基本的には良くないものだ」と僕は捉えている。

列車の中で酒を飲むのは非日常的だし、旅の開放感もあって楽しい。新幹線で缶ビールなんて当たり前だけど、鈍行でウイスキーとミックスナッツなんて「本当に日頃とは違う休暇を楽しんでいるのだなぁ…」という気持ちになる。

しかし、日中から酒を飲んでしまうと、夕方とか夜になって目的地に着いてからその土地の美味いものを食べよう!とか、一日の疲れを癒やすために美味い一杯を飲もう!なんてことは台無しになってしまう。このことは昨年の旅の間に学んだことだ。

そんなことを訳で今年は昼の間にはなるべく酒を飲まずに過ごそうと思っていた。


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列車を乗り継ぎながら出雲を目指す僕が到着したのは岡山県の新見という小さな町だった。

鈍行列車の旅をしていると、途中の乗り継ぎで結構な時間が出来てしまう駅というのが生まれる。それがこの工程では新見だった。

新見を発つ列車に乗れば、あとは出雲まで乗換なしで行くことが出来る。言わば「山陽と山陰の分水嶺」が新見なのだと思った。

山間部の小さな町「新見」で僕に与えられた時間は一時間。この間にこの町で夕食を買い、それらを出雲に到着するまでの列車の中で食べようと考えた。

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ある程度、分別のつく大人になってから感じるのだけど、日本の田舎町というのも年を追うごとに都会ナイズされている。駅前には全国チェーンのコンビニとかスーパーが立ち並ぶ。

地元で古くから愛されてきた小型チェーンの地方スーパーだとか個人商店は絶滅に近い。…このあたりの「地方が便利になっていくこと」と「懐かしい店がなくなること」の是非については、また別の機会に記したい。…と思ったら、去年も同じような事を思い、このブログにも記していたのであった…。


閑話休題
僕の訪れた新見市で地域住民からも愛され、その町の皆さんの食卓を支えているであろうスーパーが農協の店だった。僕はここで惣菜やらつまみなどを買い込み、再び鈍行列車に乗り込み出雲を目指した。


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全国画一的な商品もいいだろうが「地方の顔みたいなもの」の見える品物の並ぶスーパーはとても好きだ。そして、そんな存在の店が田舎町では「農協のスーパー」であると思うことは、近年とても多い。

そこで買うものは、全国流通しているものであったとしても、なんだかその地方の色を感じるような気がする。そして、そんな店で買物をして、車中で食べたり飲んだりする時には、普段同じものを家で食べても感じ取れないくらいに美味しいものに接しているように思う。


途中、特急やら急行を先に行かせるために何度となく途中で停まる鈍行列車も、こうした晩餐とともに過ごせば格別なものになるのだと改めて感じた夜。