【旅の思い出】大阪という街

始発の鈍行列車に乗って旅に出た。

青春18切符を利用しての旅なので移動速度が遅いだけで途中下車も自由だし、なんと言っても料金は安い。

そんな旅の途中、と言うか旅の序盤のうちに大阪のとある街に降りてみた。快速列車が京都を離れ、高槻市につくまでに見ていた車窓からの景色が「今日これから、大阪に住んでいた時の下宿周辺を今の様子を見なくては…」という気持ちにさせたのだ。


学生時代を過ごした大阪の街。
梅田や難波という繁華街、そして交通の要所ともなる新大阪駅にはこれまでに何度も足を運ぶことはあったが、学生時代に下宿をしていた街には卒業して大阪を離れてからは一度も行ったことはなかった。

新幹線で大阪を通り抜けると車窓から見える街だったし、僅かの時間ではあるけれど、その街を見かける度に「近いうちに行こう」とは思うものの、大学を出てからの23年間、一度も行ったことがなかった街である。


昔、住んでいた街を訪れると、よく行っていたスーパーは現在は当時の跡形もなく、そこには大きなマンションが建てられていた。

「トリオト」という当時でも古いスーパーは駅から下宿への帰り道にあり、僕はそこで食品をよく買っていた。いつかのクリスマス前に店員さんの間違いであるのだけど、鶏のモモ肉をこんがりと焼いたローストチキンに30円の値札が貼ってあったので、そいつを僕は迷うことなくすぐに買物カゴに入れて、値段が適正される前に…と、大急ぎで2つばかりのローストチキンを買って帰って、当時の彼女と一緒に食べたことを思い出した。

よく行っていた散髪屋も別の商店になっていた。
その散髪屋は当時の僕より20歳近く年上(推測)のヒゲの似合うダンディなおじさんがやっていて、それなりにお洒落なカットをしてもらったと思ってる。

店主のヒゲダンディ氏が本当に僕より20歳年上だったならば、彼はもう「おじいちゃん」であるのだから、すでに隠居されたのかも知れない。彼の幸せを祈りたい…。



当時の記憶も曖昧なのものにはなっているのだけど、通りや小さな道など、街の大きな様子は変わっていないのだけど、思い出深い店舗はみんな様変わりしていた。小さな洋装リフォーム店や古本屋など個人商店はもちろんのこと、よく行ったコンビニ(サンクス)まで別の店に変わっていた。

そんな中で変わっていなかったのが当時住んでいた下宿マンションである。当時から割と古い建物だったので他の商店はともかく、そのマンションだけは絶対に残っていないと思って訪ねてみたので、ほぼそんまんまの形で残っていたマンションを見た時には本当に驚いた。


f:id:datetaira:20210818210833j:plain

懐かしい街を離れて旅を続けるにあたり、下宿近くの私鉄の駅から大阪駅に向かった。途中で見かけた阪急梅田駅のビッグマンを見るのも何年ぶりだろうか…。


街の佇まいを見るだけで、懐かしい思い出がドバドバと溢れて来るのだけど、なんだか上滑りするような気持ちだった。懐かしいこの街は既に僕の住む街ではなく、当時の思い出のフックにはなるものの、それ以上の魅力は感じない街になっていた。

なんだか寂しくもあるし、当時は大好きだった大阪という街を、今の僕はそんなにも好きではなくなっていることを改めて感じる「束の間の帰郷」だった。


そんな事を少し感傷的に考えながら、僕は更に西へと向かうため、昼過ぎの大阪発の快速列車に乗り込んだ。