北風小僧の寒太郎

去年の冬も「北風小僧の寒太郎」のことをこのブログに書いた覚えがある。見返してみると、1/31のことだった。

2年も続けて同じようなをことを書く気はないのだけど、今年も「北風小僧の寒太郎」を聴いた。

昨夜の出来事だが、僕は末娘と一緒に夕食を食べていた。僕は人と一緒に食事を摂る際に基本的にはテレビを消す。テレビと食事は相性が良くないからだ。

視覚は食物や一緒に食べる相手の表情に注ぎたい。テーブルのうえに置かれた料理がちゃんと並んでいるか?美味しそうに見えるのか?そして、ソレを食べる人たちはどんな表情を浮かべているか?

そんなことを気にするとテレビなんかに目を向けている場合ではなくなる。だから食事の時にはテレビを消すし、これは一人の時にも行うことであり、「心に余裕を持って美味しくものを食べる」時には人数など関係なくテレビを消している。


食事の時にテレビは消すが音楽はかける。僕のいう食事というものは大抵の場合、酒を伴いリラックスして楽しい時間を過ごすことだから、音楽の影響も大きいいからだ。

昨夜は夕方からの娘との英語と地理の勉強を終え、「なんちゅうこともない御馳走」を食べていた。娘は炊きたての銀シャリを食べ、僕はウイスキーを飲む。メシについての感想や思いを喋り、とりとめのない話をする。そんな話題の中で「僕が子供の頃に我が家でかけられていた音楽の話」になった。

僕の実家というのは音楽に溢れた家庭ではなかったように思う。それは父親の影響が大きく…というか、父親からはほとんど音楽に関しての知識や影響を受けような気がしない。そんな父親だから、日常生活の中で音楽に溢れた家庭環境ではなかった。

とは言え、格好をつけて道具やら持物を揃えるのが好きな父親だったから古めかしいステレオは居間に鎮座していた。あと、聴きもしなさそうなクラシックのレコードも割とあった。数年に一回、父親が思い出したようにクラシックのレコードをかけてみることはあったけど。

そんなステレオから発せられる音楽は母親の買ったレコードだった。日曜日の午前中、幼稚園くらいの僕が、炬燵に入ってテレビマンガを見ていると母親がレコードをかけながら掃除をする。今とは比べ物にならないくらいうるさい掃除機でそこらを掃除するから、テレビの音など掻き消されて聞こえない。僕はささやかな文句を発しながらも母の掃除が終わるのを待ちながらテレビマンガを見ていたものだ。

五輪真弓やら布施明
幼稚園児には興味のない歌だけど、僕は歌詞を覚えてしまうくらいにヘビーローテーションでかけられていたように思う。

そんなレコードの中に「NHKみんなのうた」もあった。多分、子供向けにということで母が買ってきたものだろう。これもよくかけられていた。

赤鬼と青鬼のタンゴ
サラマンドラ
おいらは藪蚊吸血鬼
天使のパンツ
僕らは三つ子の男の子

タイトルはあやふやなものもあるかも知れないが、40数年経った今でも歌詞もメロディも覚えている曲が多い。

「北風小僧の寒太郎」もそのレコードの中に入っていて、何十回、いや何百回となくかけられたのだろう。堺正章の歌声も少年合唱団の歌声もすぐに脳内再生されるレベルだ。

……と言う子供の頃の音楽にまつわる思い出話を娘にしていたら、娘は「堺正章って歌が上手いの?」なんてことを尋ねてきた。

そりゃメチャメチャ上手いよ!堺正章はバンドマン、それも歌唱力の凄さで世に出た人だ、子役でもあるけど…。そんな話をして、そこからはユーチューブでスパイダーズの昔の映像とか「さらば恋人」とかがBGMとなった。

スパイダーズに始まったユーチューブでは続けざまに70年代の名曲が再生された。素晴らしいメロディの数々とともに、筒美京平阿久悠大野克夫、宇崎竜童夫妻、荒井由実とその後の松任谷夫妻…素晴らしい音楽を創り上げたビックネームについて、中1の娘と語り合い楽しい夜となった。

「北風小僧の寒太郎」から話はそれていったのだが、素晴らしい音楽に包まれることで我が家の食卓の「なんちゅうこともないオカズ」も数段、美味しいものになったようだ。


まだしばらくは寒い日も続くのだろう。
北風を浴びる度に僕は「堺正章の歌唱、特に『かんたろ〜〜う!』というシャウト」を思い出すのだろうと思う。


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これは、ネットでの拾いものの画像だけど、こうした家庭ごとのテレビアンテナというのも本当に見かけなくなった。僕がせせこましい街に住んでいて一軒家をそんなに見ないからなのだろうけど、そのうちこんなアンテナも絶滅するのだろう。