秋の匂い

今朝は自転車に乗って農協に出掛けていたのだけど、町の至るところで金木犀の香りを感じた。

気候が落ち着いて秋らしさをしっかりと感じるようになると外を歩く人の装いも少しずつ秋らしくなってくる。そんな様子をちゃんと見計らってから、金木犀はその香りを漂わせているのではないかと僕は思う。

この金木犀の匂いについて、子供の頃は特別に秋らしさを感じるものでもなく、単に消しゴムの匂いとかと同じような香料みたな匂いがするのだから、それを鼻いっぱいに吸い込んでは「いい匂い!」と喜んでいた。金木犀の木の下に散らばった小さな花弁を拾ってフィルムケースに詰めて勉強机の上などに置いていたことを思い出す。

歳をとってくると積んできた経験から「金木犀=秋」のように考える反射回路が確率されるのだけど、これをいい匂いと捉えるかどうかに少し疑問を抱いた。

今の僕がいい匂いと思っているのは「金木犀の香りから連想される穏やかで過ごしやすい秋の気候」であり、その幸せな秋の一日を想像させる匂いを「いい香り」と錯覚しているだけなのだろうと思った。

そもそもアレは便所の芳香剤に御誂え向きの匂いだし、部屋の中で一日中、あんな匂いがしていたら僕はその木を切り倒したくなるようにも感じた。

そんなことを考えながら自転車を漕ぎ勧めていると、カウンターパンチのように「銀杏の匂い」が鼻に入ってきた。本当にクロスカウンターを食らったかのようなきれいなタイミングで!

金木犀が便所の芳香剤であるならば、銀杏は便所の主役を想像させるような芳しさなのだけど、この匂いのほうが「僕にとってはちゃんと秋らしい」ようにも感じられた。

ただ、自室にいて一日中、銀杏の匂いが流れてきていたら僕はその銀杏(イチョウ)の木を切り倒すと思うのだけど…。

 

自転車に乗りながらそんなことを考えているうちに僕は農協に到着した。今日農協で買うものも「秋の香り」の代表格のように思う。

カボスである。

スダチでもなければユズでもない。

先日、一緒に大酒を楽しんだ大分出身の友人によると「カボスは香り(カ)の親分(ボス)という意味を持つ」とのこと。カボス県大分ならではの「県外のカボスをよく分かってないヤツへの鉄板ウンチク」なのだろう。しかし、これには「然り」としか返せない。

香り気高いカボスをあらゆるものに絞りかけて楽しむ。数多くある「季節ならではの香り」の中でも僕は相当に好きなものである。