身体のことを考える

四十肩になってから、このブログにも「左肩四十郎」などとふざけたことを書いていたりもしたが、僕が四十肩を発症してから既に2年の月日が流れた。四十肩も五十肩となったのだ。

この半年くらい、四十肩…もとい、五十肩による痛みは多少治まってきていた。というか痛みにも随分と慣れてきたので、そんなに気にならなくなってきた…というのが正しいのかも知れない。

…と、こんなことを書くのも、の連休中の身体の不調によるものである。連休前からの兆候として咳をすると背中が痛くなることがあった。この冬に病院で咳喘息と診断されてから僕は呼吸をするように咳をするのだが、咳をすると左側の肩甲骨のあたりに軽い痛みが走ることに気が付いていた。

5/3、僕たちはピクニックへと出掛けたのだが、下宿に戻って来てから夕食の支度をしている間、やたらに肩が凝るような気がした。台所に立って炊事をしているとやけに首から背中にかけてが熱を帯びていて、ジンジンと痺れるような気がしたのだ。

そして翌日、朝になると肩の凝りのようなものは明確に背中の痛みに成長していた。背中が痛みの震源なのだけどとにかく体を動かして背中に何かの動き後伝わるとそれだけで激痛が走るような状態にまで悪化していた。こうなると咳をするどころか、寝返りも打てないし起き上がることすら苦痛…という身体障害者のような有様だった。

この日は午後から末娘も上の子供の下宿に遊びに来ることになっていて(これはその前夜に急遽決まったもの)、午後には彼女を迎えに東京駅まで行く予定にしていた。なので、それまでに背中の痛みを少しでもどうにかしようとマッサージ屋を予約した。

5年前まで銀座で働いていた時、僕は数ヶ月に一度マッサージ屋を利用していた。普段は肩が凝ることなど感じないのだが、ある日突然肩が重くて仕方なくなることがあった。その苦痛を和らげようと利用してみたら随分と楽になった。そして、躰をほぐしてもらいながら「こうなるまで放っていたらダメですよ。都度都度ほぐしておいたほうがいい」というようなことを言われた。

これは来店頻度を増やさせるためのセールストークだったのだろうが4ヶ月に一度くらい通うようになると、確かにストレスが溜まりまくる前にそれを発散させて身体が少しは軽くなるような気がしていた。

そんなことを思い出して東銀座にあるマッサージに行ってきたのだが、施術中も身体の痛さに驚いた。

背中の痛さは咳による身体への負荷もあるし、五十肩を気にしてぎごち無い動きをすることで筋や筋肉がこわばっていることなど(そしてその場では言わず僕は心の中で気が付いていたことなのだがバキバキのジージャンを着て眠っていることなど)とにかく複数の要素が複数年にわたって積み上がり、それによりアルマジロが丸まるかのように左半身を中心に身体が固まりまくっている…とのことだった。

思えば四十肩になってからの2年間、左腕を肩からグルグル回すことがないばかりか、両手で万歳したり、、もっと言うと思いっきり身体を動かすことすらなくなっていたように思うのだ。肩をかばっているだけのつもりでいて、それが全身の動きすらいびつなものにしていた。それが今回は表面化しただけで、相当に不健全な状態が続いていたのだとしか考えられない。

この数日、息子娘とそこらを歩き回っただけなのに足の痛みも以前より激しい。足裏とふくらはぎの疲労。慢性的な運動不足が僕の老化を随分と早めたようだ。

50歳になって体にガタが来たと感じることが増えた。ただこれは50歳になったから途端に体が痛むようになったのではなく、この数年怠惰な生活を送っていたことのツケが形になって表れてきたに過ぎない。活動的に動くにはやはり体力、そして動き回ることの出来る体が何よりも大切だ。

今回の「背中がやたらに痛かったこと」やら「歩くことに疲れを感じること」を反省材料にして、体を労りたい…って、この場合の「労る」は「しっかりと負荷をかけて体を鍛えよう」という意味であるが…。