下宿料理の定番品

5/4には末娘も「上のガキ2人の住む下宿」に合流し、兄妹3人と僕とでゴールデンウィークの終盤を楽しく過ごした。

我々が楽しく過ごすことというものは、そこらに出掛けて何かを体験することでもあるのだが、「そこらを歩いていて感じたことについての意見交換をする」とか「見つけたものをどう説明するか」などが中心で、とにかく意見を交えて話をしていることを「楽しいこと」と捉えているように思う。

「楽しいこと」なんて、特に定義などすべきことではないだろうし、とにかくそれぞれが楽しく感じられればいいのだから、その手法など人の数だけ存在する。

ただ、中には「その人の意見を聞いても全く面白くない人」とか「表現方法が稚拙すぎて微笑むことすら出来ない人」というのもいるから、喋ることが楽しみの中心…ではない人も多くいるだろう。まあ、人それぞれ、家族には家族ごとの楽しみ方があるものだ。

さて、末娘を東京に招いた日の夕食は下宿で中華っぽいメシを作った。池袋から安売りスーパーまで街の様子を末娘に説明しながら歩く。そして安価な食材を沢山買って下宿まで喋りながら歩く。とにかく、我々親子は「歩きながらよく喋る部類」に入ると思う。これは地下鉄に乗っていても、自宅にいても変わらないので「とにかくおしゃべり家族」なのだろう…。

下宿に着いたら着いたで、色々と喋りながら炊事やら食事の支度を行い、出来上がったら喋りながら食べるのである。

この日の献立を記しておこう。「トマトのサラダ、空豆の塩茹で、トマトと木耳の卵炒め、青椒肉絲(肉抜き)、海老チリソース(厳密には味噌餡掛け)」そして真打ちが「長男作成のチャーハン」である。

このチャーハンは長女のリクエストによるもので、受験で当時高校生の長女が上京した際に長男が昭和風情全開のアパート(というより「下宿」という言葉が本当にしっくりとくる住まい)で自作のチャーハンを食べさせて貰ったことが彼女の印象に深く残っていて、それを末娘にも体験させようという希望によるものである。

「メインディッシュ調理」の指名を受けた長男は普段以上に気合を入れたのか(と言っても、それが普段のものとどう違うか知らないから比較の術もないのだけど…)、豚肉、バナメイ海老、茄子、シメジという沢山の種類の具材を大蒜と生姜で炒めたチャーハンを作り上げたのだった。

特に格好をつけるような性格でもなく、どちらかと言うとダサい長男にも「見栄」のようなものもあるのだろうか?「今日はちょっとうまくいかなかった…」みたいな言い訳めいたことを言っていた。

彼の言い訳のとおりに、そのチャーハンは大して美味いものでもなかったが兄の作った力作に2人の妹は舌鼓を打っていた。

彼女らの味覚が発展途上にあることもあるし、彼女らなりに兄への気遣いもあったのかも知れない。しかし、僕が大人として冷静に判断するなら「それはそんなに美味しいものではなかった」としておこう。

しかし、僕も彼のチャーハンを食べてとても嬉しい気持ちになった。早々に熱したフライパンに投入した御飯は焦げた部分も多く「パラリというよりガシガシ」みたいなところが多かったし、旨味の一助にしようと工夫した具材から出た水分が変に御飯に染み込んだ部分もありネッチョリとした仕上げになったところもあった。

これは、味のわかる大人としての冷静な評価であるが、このチャーハンは絶品だった。2人の妹が嬉しそうに食べるメシを作れる頼もしい兄貴…というのはそんなに多くないかも知れない。いや、そんなことはないか…。彼はそんなに頼もしくもなかった…。

この「長男のチャーハン絶品発言」は完全に親バカなのだが、敢えて修正しない。僕にとってはそんな兄貴になった彼が作ったメシは素晴らしいものだと感じたのだ。その味の如何は関係ないものとして…だけど。

 

翌日、父子4人で出掛けた際に長男には「どこに気を付けたらお前のチャーハンはもっと美味しくなるか」のアドバイスをしておいた。これは余計なお節介のようにも思ったが、人が成長していくうえで的確な指南をするのも父親の仕事であろう…と思ったから。

 

写真は今回のチャーハンとは全く関係のない「いつか僕が僕のために作っただけのチャーハン」である。これも特に美味いものでもなかったように思うが、一般には息子のチャーハンよりも美味しいと評されるものだと思う。

しかし「そんな下宿料理の定番品」であるチャーハンをリクエストする妹たち、そしてそれに応えて一生懸命に料理する兄…という光景は温かな気持ちになるものだった。