キャパシティ

去年、ラッパとかバンドを再開してから僕の生活もそれなりに変化した。暇な時間が減ったのだ。

楽器を演奏するのは勿論趣味だし、料理とか掃除とか生活を維持することに直結する活動でもないから、純度の高い「遊び」である。ただ、夢中になる遊びなんて簡単に人の生活時間を侵食してくる。

部屋でかけたり聴いたりする音楽がどっぷりと「演奏することベースでの聴き込み」になった。これにより僕の音楽性は一見上昇したようにも思えたが、自然に音の心地良さを楽しまないようになっていると思うので、音楽性は後退したとも言える。

音を理解、把握するために聴き込むのは音「学」であり、やはり本来の音「楽」ではないのだと思う。

さて、今日のタイトルは「キャパシティ」で、音の聴き方なんてそんなに関係ないように思えるが、やはり関係するのだ。

 

昨年の冬からの出来事だが、職場の同僚が次々に会社をやめている。僕の部下についてはこの1年で4人が会社を去り、人員補充は2名だったのでその穴は結構痛い。僕についてはそこを埋めるために土日の出勤が増えた。そこでキャパシティオーバーが生じているのだ。

平均すると毎週土日で都合6時間くらい仕事をするのだが、管理職の僕については休出手当も残業代も発生しないので会社は何も言わない。それどころか部下にやらせずに自らが残業作業を抱える無償管理職に喜んでいるはずだ。

人の仕事というのは機械作業ではない。朝から夕方まで働けば疲れる。疲れた状態で仕事をしても生産性は落ちる。なので僕はほぼ毎日19時前には会社にいないようにしている。まあ、それは生産性のためではなく残業代も出ないのに無理することが馬鹿らしいからだ。

人によっては「土日に仕事をするくらいなら平日に残業する」という人もいるだろう。僕がそんなことをしても、土日なら1時間で片付けられる作業が平日の残業なら倍以上の時間がかかってしまうだろう。そして、脳味噌やら精神への疲労は3倍以上になると思われる。

そんな生活が半年になると「やはりキャパオーバーだった現実」を受け入れて改善策を考えねばならないことに気が付いた。

日々を楽しく過ごし満足するには「自分の積載許容量」をちゃんと知ることが大切だ。頑張ることは美徳だが、これがキャパオーバーを促していることもある。ただ、世の中には「あからさまに荷物すら積まず、自らキャパを増やそうともしない」向上心とか努力という言葉を知らない馬鹿もいる。

これらのバランスを取るために僕が考えたことについてはまた別で!