豆御飯

先週のことだが、今季の初物となる豆御飯を炊いた。僕は豆御飯という食物を滅法好きだから、過去にもこのブログに同じようなことを書いているような気もするが、それこそが「僕の豆御飯愛」なのだと捉えていただきたい。

免許証の更新のために半休をとった日にスーパーに行くと安売り野菜がズラリと並んでいた。僕の好きなスーパーでは、だいたい10:30〜11:00くらいに野菜が「見切り品箱」に移される。これが本当に安くて僕はたいそう重宝している。

しかし、仕事のある日はこの時間を狙うことが出来ないので、こうした野菜を買うのは専ら土日になるのだけど、土日は僕のようなセコい客も多いようで、出遅れるとイイものなどないし、そもそも土日よりも平日の方が程度のイイものが「早々に見切られる」ような気がする。

この「早々に見切られる」メカニズムを考えると、やはり僕の行くスーパーは土日の方が客足が伸びるように思う。来店者数の多い土日ならば、少しくらい古くなっていたって買っていく人もいるだろうけど、平日は傷ませて商品価値が無くなる(0円になる)くらいなら、その前に片付けてしまおう!という狙いがあるのではないか?まあ、僕は八百屋ではないのでこと真相は分からないが…。

さて、そんなに感じで安く買ってきたエンドウをメシと炊く。3袋のエンドウを鞘から取り出すなんて大した作業ではないので10分くらいで出来ると思っていたが、思いの外時間を要し、30分くらいかかってしまった。出勤前の朝の忙しない時間帯なのに、豆を剥くなんてとても優雅な一時だと思う。

カップに入れても隙間の多いエンドウと米の量を一緒に比較することは出来ないのだけど、米4合に対してカップ6杯くらい(即ち6合?)のエンドウで豆御飯を炊く。

「こりゃ、豆御飯というより御飯豆だね…。©黒澤明」というクロサワ監督の声が聞こえてきそうな豆御飯。

これを食べると「新学期が始まる頃の春」を強く感じる。あたらしいクラスが決まって、なんだか浮足立ったというのが落ち着かないというのか、毎日がまだ新鮮に感じる4月上旬の空気感。あるいは田植えに向けての田圃が掘り返され始めたり、そこらの空地にも雑草が伸びてきたりしている春の緑の青臭さだったり。豆御飯が呼び戻してくれる季節感というのはなんだか眩しい感じがする。そんな豆御飯が好きだ。

朝から豆御飯を炊き、1膳の豆御飯を食べてから出勤した僕は昼食にも豆御飯を食べていた。職場の同僚たちは「僕の豆御飯好き」を知っているので「もうこの季節になりましたか…。」とか、豆含有の高さを見て「ホントに、豆御飯、好きなんですね…。」なんて声を掛けてくれた。

これらは賛辞などではなく、こころの奥底では同意するどころか呆れるような気持ちで発せられた言葉なのだった。僕の部下たちはほぼ皆が豆御飯のことが嫌いなのだ。

「お前らは馬鹿だな。豆御飯の美味さを知らずして美味いものを食べたいなんて言うな!俺のことを悪く言っても構わんが、豆御飯のことは悪く言わんでくれ!」なんて笑いながら僕は返している。

しかし、僕が笑いながら言っているものだから豆御飯嫌いの部下どもは冗談だと思っているが、僕は彼等の味覚の未熟さを本当に呆れている。