続 キャパシティ

仕事が忙しく…というより、忙しく仕事をしているのが嫌なので「自己のキャパ見直しを」と記した前回の文章の続きである。

 

その気になって無理をして平日の作業量を増やしておけば、土日に暇な時間を作ることも出来るのだろう。しかし、僕は無理をする気も毛頭ないし、平日の夜にだって大切なことは沢山あるのだ。

「ゆっくりと夕食を摂ること」「娘と勉強すること」「文化的な時間を過ごすこと」「ちゃんとした食事を作ること」このあたりが僕の平日の夜に優先することである。これらをそれなりにやろうと思うならば、アホのような残業に時間を割いている場合ではない。

そんな訳で、平日に残業して文化水準の低い生活に陥ってしまうくらいなら、土日に仕事をしたほうがマシなので、僕はこの半年くらい土日のどちらかで仕事をするような状態だ。たまには両日仕事をすることもあるし、何もしない週もある。「全ての仕事が片付いてやることがない」なんてこともなく、常に納期の希望日を過ぎた作業に囲まれているが、この納期を守るために無理をして仕事をする気はない。

他の用事との兼ね合いによるが、だいたい一日あたり5時間くらいの作業が限界となる。ここくらいまでなら、僕の脳味噌もフル回転して高い生産性を発揮してくれる。これ以上になると、頭が疲れて作業効率がグンと落ちる。そんな状況で仕事をしても無駄に時間ばかり取られるのでその日の仕事はそれで終了。

僕が仕事に取り組むための能力にもやはりキャパシティがあり、それを超えると効率が悪く生産性の低い労働時間を送ることになる。考えることを放棄しようとしている頭脳に無理に問題を与えたところでいい答えなど出るはずもない。

ここで問題なのが、「脳味噌の効率化を優先すること」と「脳味噌を甘やかすこと」は表裏一体で紙一重だということだ。自らに無理を強いて有効な時間の使い方が出来なくなるのは避けたいが、それを言い訳にして楽をしてサボっていてはそれこそがそもそもの時間の無駄である。

これは脳味噌の使い方だけではなく、人の持つ能力各種に当てはまることだ。筋力や体力は適正な負荷をかけられることで発達する。負荷をかけ過ぎて怪我をしたり、トレーニングが嫌になっても意味がない。

この塩梅こそがうまく生きるための秘訣なのだろう。ある程度ドライであることも必要だし、冷静な判断も必要だ。しかし、情熱を持ちながら謙虚でなくてもならない。たまらんほど難しいことだが、一生考えるべきことなのだろう。