第一弾のシナチク作りについて

先週、かれこれ10日ばかり前になるがシナチク作りを始めた。

これは製法を大きく間違っていた事に気が付いた為、早々に正しい作り方のものを第二弾として仕込んだので、急遽開発援助を止められた「幻の第一弾シナチク」ということになる。

シナチクの材料は「竹」である。
パンダじゃないと食べないような竹が発酵の力によって食べられるようになることにシナチク作りの面白さがある。

僕の第一弾は「筍」で作られた。
これは発酵なんかさせなくても普通に美味しく食べられるものだ。

材料に決定的な違いがあることを知らない僕は第一弾を堂々と筍で作り始めてしまったのだが、捨てるのは惜しいので、最後までシナチクとして育てるつもりだ。

これは一週間、乳酸発酵させてから干したもの。
竹だと数ヶ月発酵させた方が美味しくなるようだが、筍シナチクは早々に発酵期間を切り上げた。

初夏の暖かさ(まだ暑くはない…。)なので、塩漬けにした茹で筍は一週間でも割と発酵が進んでいて、茹で筍の穀物のような甘い香りの中に酸味を含むような発酵の香りもする程度に育っていた。これを干すだけ。

金曜日の夜、我が家のベランダに干した発酵筍は土日ともに好天だったことから日曜日の夕方にはカチカチと音が出るくらいカラカラに干上がった。ここまで乾燥させたら数年の保存が可能なのだろう。とりあえず、コレでおしまい。

僕の中でのシナチクの仕込み作業は完了だ。あとは、シナチクを調理器具する際に数日間かけて塩抜きをして味付けをするだけ。

ラーメンを食べるときになってシナチクを欲しくなっても手には入らない。数日前からの準備が必要になるが、そうすることでシナチクやらラーメンの味も格別に感じられることだろう。

「こうして手間暇と時間をかけたもの」がなくては僕の生活は成り立たないし、そうしたものを廃除して「手間を掛けずものを考えずに、簡単に生活に必要なものを消費するだけ」の現在の世の中の流れには抗いたいと思っている。