ラッパの練習に出掛ける

年明けに「今年こそ何らかの行動を起こそう」と考えていたトランペットの練習であるが、今日初めて練習に出掛けた。

2月の頭頃から唇を振動に慣れされるリハビリ活動を行っていたので、時折公園に出掛けてはそこで遠慮気味にラッパを吹いてみるような練習はしていた。

大した練習もしていないのに都合の良いことを言うのだが、僕はなかなかリハビリが進まないように感じていた。そりゃそうだ。一週間の延練習時間は多分一時間に満たないし、公園に出掛けても30分も音を出していると相当の満足感で帰宅していたのだから。



思うようにラッパが吹けないことには第一に練習量が足りないことが挙げられるのだけど、そもそもリハビリがなかなかうまくいかない…なんてレベルではなく、完全にラッパを吹くことにおいて素人に戻っているのだ。これには効率的な練習を続けるしかない。

そして、もう一つ大きな思い違いをしていたのだが、僕はそもそもラッパが下手くそだということである。

この15年くらい、滅多にラッパの練習などしていない。正直に言うと延べ時間で2時間もないだろう、15年間で。

何一つラッパをうまく吹けるような地道な努力はしていないのだけど、この間にカッコいいと思う音楽はよく聴いた。このため、「このリズム隊のビートはいいねえ!」とか「今のホーンのアタックが渋い!」とか、楽器を演奏できないくせに一丁前に音楽批評をする「リスナー代表のおっさん」に自分がなっていることに気が付かなかった。

ラッパにおいても一応はプロのミュージシャンであろう演奏者の演奏を聴いては「音もフレーズもいまいちだな…」なんてことを日々の生活の中で続けていたので、自分が全くカッコよく演奏出来ないことを忘れてしまっていたようだ。


さて、題名の「練習に出掛けたこと」に戻す。

リハビリ的な基礎練習にはこれまでも出掛けてはいたのだけど、今日は町外れの公共施設で真面目に練習をしている市民楽団の練習に混ぜてもらった。

観客ではないが、人の前で少しでもちゃんと吹こうとしてラッパを吹くのは実に15年ぶりくらいのことである。勿論、ちゃんと吹ける訳もない。しかし、無理矢理にでもなんかの演奏機会がなくては怠け者の僕はラッパの練習に量を増やすことなどないだろう。

そんな思惑もあり、ウチから6キロくらい離れた学習センターまでチャリンコで出掛けて、年上の先輩方が集っている市民バンドの練習に伺ってきた。


僕はギアを入れるとチャリンコでの多少の長距離移動も敢行するのだが、それも僕の思い込みなだけで実はこのところ大したチャリンコ移動もしていなかった。

学習センターまでの6キロの道程は近くはなかった。暖かな春の昼間にチャリンコを漕いでいると勿論汗もかくし、身近ではない町内を走ることはそれなりに楽しいことだ。

しかし、この移動は思いの外、疲れるものだった。
変速機の付いたチャリンコで片道6キロ、特に風の強くない日の移動なんて大したこともないと思っていたけど、僕の肉体は慢性的な運動不足によりダラけまくっている。帰宅するとドッと疲れが出てきた。


肝心の練習についての感想は別稿に記すことにする。今日の「練習に出掛ける」という行為は、ラッパの演奏技術だけではなくて、チャリンコ移動の基礎能力など、僕自身の身体はついてこれなく衰えているのに、気持ちが完全に誤解していたことを気付かさせてくれる機会だった。



f:id:datetaira:20220313221123j:plain
寫眞は今日の外出練習のものではなく、今日の練習でも使った楽器。古道具屋で安くに買ってきた骨董品だが、これはアタリだと思っている。
そうした「この道具の素晴らしさ」はまた別稿で!