人は易きに流れる

1月に統一テストがあり、その対策までは末娘とともに辛うじて勉強を一緒にしていたのだが、2月に入ってからは僅かしか一緒に勉強をしていない。

長女の受験が終わってからは全く一緒に勉強をしていない。勿論、勉強して賢くなるのは末娘なのだから、この勉強頻度の低下は彼女の怠惰さによるものである。そして、この生活態度の通り、しばらくぶりに一緒に勉強をした彼女は着実に馬鹿になっていた。

そもそも勉強が出来るやつではないのだけど、「こんなことも理解していなかったのか?」と思うことが多くあり、それ以上に「覚えていなくても、その場で脳味噌をフル回転させれば何らか対応出来そうなこと」にすら対応出来ないような有様だった。

前者の「理解や記憶」は平素の努力の賜物であり、勉強の基本は平素の努力の積み重ねである。こうして基礎力というか脳味噌の筋力(比喩ですよ!無学な僕だって脳に筋肉がないことは理解している!)がついてくると、効率的にものを覚えたり、理解するための論理性が見について来る。こうなってくると、努力が結果に結びつくことが目に見えて来るので勉強が楽しくなる。

…などと、「お前はえらい教育者なのか?」みたいなことを書いたが、僕ら父娘は相当に下等な学習塾を細々と続けているような状態だ。末娘の成績は特に上昇する訳でもなく、なんとか墜落せずに平行飛行を保っているような感じ。

本人のやる気の問題だが、そのやる気を伸びさせていない講師である僕にも責任の一端はあると感じている。

僕自身も末娘と勉強する時間よりも、ラッパを吹いたり、音楽を聴いたり、酒を飲んだりして過すことを楽しんでいた。ここに長女の新生活を絡めて本格的に末娘との勉強を疎かににしていたことは間違いない。

しばらくぶりに一緒に勉強した時に「娘が馬鹿になっていたと感じた」ことは前述のとおりだが、僕自身も勉強が非常に疲れる馬鹿脳味噌になっていた。勉強というのものは習慣化していないと少しの勉強でもやたらに疲れる。習慣になっていれば、呼吸のように自然に続けられる。

 

本質的に賢くない人間なんてそんなにいない…というのは嘘だ。「そもそも本質的に賢い人間なんてほとんどいない。大抵の人間が馬鹿だ。」という方が正しい。しかし、そうした馬鹿も各々のヤル気を最大化させて色々な能力を伸ばしている。

苦しく、面倒に感じるときだってどうやってやるべきことのモチベーションを維持するのか?が大切で、ヤル気を持続することが「賢いか賢くないか?」の差となる。

僕ら父娘は本当に簡単に低きに流れた。新学期を迎えたが、この一年は末娘との勉強から逃げずに頑張りたい。