夏の思い出②

昨日に続いて今日も「夏の思い出」というタイトルで思うことを記すのだけど、今日も尾瀬のこととか水芭蕉のことを書くのではない。もっと言うと、そんなにも夏の思い出でもない。

昨日のテレビでのアニメ映画ではないが、火垂るの墓のアニメを夏になるとテレビでもよくやる…という話を聞く。確かに7〜8年前の夏、お盆くらいの時期に宿泊出張していた千葉のホテルでテレビでやってるやつを見たことがある。しかし、その前もその後も僕は「特に夏になったらアレを放送している」という感じは受けない。尤も、テレビ欄をチェックすることもないから、僕が知らないだけで本当はビシバシ放送しているのかも知れないが…。

世の中には「西宮のおばさんの非道ぶりの批判」とか「セイタの放蕩息子ぶりの非難」とか色々な意見があるが、表面的な出来事の解釈は人それぞれなので放っておいて、戦争の作用について何らか考える機会になるという点で、やはり名作だと思う。これは世間一般論として。

 

僕個人で思うのは、戦争によって各々が追い込まれた状態だったとしても、やはりセイタの計画性や行動力の無さは「彼らが不幸になればなるほど」際立つ演出で、最終的には「ほぼ最大級の不幸である兄妹もろとも餓死する」という流れが非常に見事だと思う。

これは、この物語の中では軍事的な戦争に端を発したことだけど、僕たちが過ごす日々の世界の中でも人それぞれ「自分にとっては追い込まれるような逆境」というものに面する。それが軍事的な戦争でなくとも、冷静さを失わさせる程の出来事であれば戦争級のネガティブ要因だと言えるだろう。

そんな中でも、物事の先とか作用を考えて、今何をするべきか?を判断出来なければ「セイタ兄妹のような末路」が待っている。程度の差はあるが、決して幸せにはならないということ!

軍事的な戦争はこの数年、割と身近に起きたのだから何も夏にならなくても戦争の功罪について考える機会はある。しかし、そういうことに思考力を使うことを嫌いな人ばかりだから、たまには火垂るの墓でも見て感傷的になるのもいいだろう。

しかし、この映画から人々が得る教訓は「ものを考えて正しい判断をして、それを行動に移すことの大切さ」だと僕は強く思う。