麦を食う

麦について記述するのは久しぶりだし、僕が麦を食べるのも久しぶりのことになる。

平素から僕は「いつでも、ああもう少し金があればなあ…」と望んでいるが、貧乏人だから麦を食う訳ではない。このところどうも体調が万全ではないような気がする事によるものだ。

 

思い返してみると、去年の秋に新米を食べ始めてからはすっかりと麦シャリを炊いていなかったし、この兆候はその前から見られていて、既に春頃から銀シャリを炊く頻度が高まり、麦シャリと縁のない生活になっていたのだと思う。

これはやはり麦シャリを炊くには浸水に時間がかかることと、僕自身の健康意識の低下が招いたことなのだろう。バンドを再開してからどうも酒の量が増えた気がする。そして、仕事の忙しさ(というか、忙しさというか何かの気忙しさ)と相まって、心の平穏を保つために酒に頼る割合が増えていたように思う。これが原因のはずだ。

自らが酒を飲んで不摂生することをバンドやら仕事のせいにするのも短絡的で責任転嫁のようにも思ったが、ものごとを反省とか対策するにはそのメカニズムの原因究明が基本なのだから、この分析は必要なのだ。

 

さて、麦シャリの話に戻る。数ヶ月ぶりに麦を買ってきて数ヶ月ぶりに食べた麦シャリはボソボソとしていて期待通りに不味い味わいだった。求めていたのはこの味だ。

過去のブログに「麦の持つデトックス効果」について書いていた。以前書いたとおり、そんなデトックス効果の医学的根拠など知らない。そもそも医学的な効果などないのかも知れない。

しかし、「少しばかり面倒な麦を炊くという一手間をかける」ということが、心に平穏をもたらす精神のデトックス効果なのかも知れない。