昨日は久しぶりに引越し前のウチに行った。旧居のガスを閉栓するために立会が必要だったのだ。
先週の水曜に沼津に赴任したところなので、僅か数日ぶりの来訪だったのだが、旧居やらその町の佇まいをとても懐かしく感じた。
見慣れた町で尚且つ勝手知ったる場所なのに、そして「僅か4日ぶりの来訪」なのに、不思議なくらいにその町のことが眩しく見え、更に懐かしく感じた。この懐かし感には僕も驚いた。
写真は車で移動している時の町の様子。なんということはない地方都市の町並みだ。こうした光景を目にしながら、そこで改めて感じたのだが、引越という行為は「基本的には物理的に人の根城をどこか別の場所に移す」ということだ。しかし、それが一週間とか1ヶ月の長期出張であれば「その後に戻る場所」として根城は移動されない。
どこで過ごすのか?どこがその人の根城となるのか?という点を含めて、旧居と決別することを受け入れ、新居での新生活を始める「心の引越」をした時点で「心身ともの引越」をしたことになるのだろう。
僅か4日の別離ではあったが、僕はこの期間のうちに「気持ちも含めて沼津への引越」を完了させていたようだった。だからこそ、旧居やらその町の町並みを見た時に中原中也の「これが私の故郷だ」という詩が思い浮かんだのだったと思う。
…って、僕の故郷はもっと田舎でもっと別の場所にあるのだけど、とにかくその町を懐かしく感じた日曜日の昼下がりだった。