記憶が書き直されること

三連休の初日は「先週の疲れ」のせいなのか、あるいは僕の怠惰な性質のせいなのか、否、その両者がしっかりと結び付いたせいで実にダラけた一日だった。

ダラけついでに夜は20時過ぎにはベットに入ったのだけど、寝床でも僕のダラけ具合が遺憾なく発揮されてしまい、大したこともないうちに深夜の2時を迎えるという始末…。特に本を読むこともなく、スマホでどうでもいい浅い情報に接していただけなのだ…。実に意味のない時間だったように思う。

無為に過ごしてしまう一日というものは僕が望んでいなくとも本当に徹底的に無為に過ごしてしまうものだ…。僕が望んだことでもないのが悲しい。そしてそれはなにも自慢出来ることではないのだが…。

この夜は眠りについた時間も遅かったが、翌日(これは昨日)の朝は7時前に目を覚まして、朝から「小さな旅」をテレビで見てから仕事に出掛けた。

週明けに待ち構えている「憂鬱な仕事」の下準備など支度をこなし、僕の気持ちが随分と楽になったのは昼下がりのことだった。

こうして迎えた連休最終日は「それなりに気分も軽やか」だったので、朝から車を駆り伊東へと出掛けてみた。

これは完全なレジャーではなく、土日祝日も関係なしに営業している客先への訪問なので仕事と言えば仕事だし、会社の車に乗って出掛けているので休日出勤でもあり、「完全なレジャー」どころか「仕事」なのである。

伊東という町には沼津に来てから数回、仕事で来ているのだけど、今日は駅の近くを歩いてみた。

今から25年前、多分1999年のことだったと思うのだけど、僕は伊東に一泊して2日がかりの仕事をしていたことがある。その時に駅の近くの現地スタッフのおじさんに可愛がっていただき、一泊しただけなのだが「それなりに伊東の町の位置関係は把握した」つもりでいた。

今日は本当に25年ぶりの伊東の町散策だったのだが、僕の記憶にある位置とは随分と変わっていたことに驚いた。

これは「どこになんの店があった」とかいう詳細なレベルのものではなく、駅からこっちに歩くとアーケード商店街があった…というような本当に大雑把なレベルでの町の位置関係の話…。しかし、古くからある商店街の場所がごそっと別の場所に変わる訳なんかないのだから、25年のうちに僕の記憶が書き変えられていたのだろう。

今更ながら考えてみると50年ちかく生活してきて、「伊東の町の位置関係」など、その中のちょうど半分くらいの時期に僅か一泊しただけの記憶なのだ。そんな記憶の一つが不確かなものになっていても、それはそれで仕方のないことのようにも思った。

そう思うと「僅か一泊しただけの町だけど、ある程度そこのことを覚えているところ」なんて沢山ある。滋賀県草津、飛騨高山、福井の敦賀、いずれも学生の頃に一度だけ訪れたことのある場所だけど、これらに対する町並みの思い出というのも随分と書き直されているのだろう。