歓楽街を朝歩く

沼津という町は何を買うにしても郊外に出掛けないとそれなりの品が揃わないようだ。

これには閉口しているのだが、僕が困っていたところで何も変わらない…というよりもこの先の沼津はもっと郊外型の町になるだろうから、僕が郊外(というか町外れ…)まで足を運ぶしかない。こうなると「町外れ」なんて言葉も意味が変わってきて「旧来の町外れこそが今や町」という状況だ。

そんな訳で今朝はチャリンコに乗って町外れまでグルグルと移動していたのだが、その途中で目を引く看板を見つけた。それは「昭和のレタリングでキャバレー」と記されたものだった。

僕のキャバレー体験というものは非常に乏しいのだが、15〜20年前くらいに銀座あった「白いバラ」に何度か行ったことがある。

その名店「白いバラ」は、その当時ですら時代錯誤感を感じる正真正銘のキャバレーだったが、沼津にあるここは看板が残っているだけで、実態はキャバレーではないのだろうな…そんなことを考えながら付近を見てみると興味深い店舗の看板が沢山あった。

銀座に法善寺横丁、ここはどこなのだ?沼津なのだけど…。

沼津にある「法善寺横丁」の店舗の数々と「昭和歌謡ザ・ベストテン」。まんまのレタリングを用いる潔さ!

昔、たまに行っていた昭和歌謡スナックがあるのだが、そこではママが聖子ちゃんカットでバーテンはふんわりリーゼントでまさに80年(80年代ではなく80年ジャスト)の雰囲気を醸し出していたことを思い出した。二人ともそれなりに年配の不細工な方々だったが、気持ちのイイ店であった。

そんなことを思い出しながら歩いていると近くには「トップテン」もあった!きっとよく探せば「夜のヒットスタジオ」もあるに違いない。

そして、少し離れたところに「味好小路」なるものも見付けた。ここには小学生料理人・ミスター味っ子と称される味吉陽一くんがいる日の出食堂もあるのではないか…との期待を胸に接近してみたが、ここは既に廃墟のようだった。

なんだか、ミスター味っ子のむちゃくちゃぶりに爆笑していた頃に没頭していたドラクエの主人にでもなったような気分だ。「この小路もモンスターたちが……。ぐぶっ!…………(絶命)」という町人でも現れそうな気分だ。

「お茶漬けとおにぎりの天城」。本当にメニューがこの2つだけだったらむしろ行ってみたい。子供の頃、同じような看板の店を見つけたことがあり、うちに帰ってから親に「なんでお茶漬けなんかを外のお店で食べるのかねえ?」みたいなことを聞いた記憶がある。その時の親の返答は覚えていないのだけど…。

歩いて回ると僅か10分もかからない範囲にこうした「懐かしさ全開の笑える店」がひしめき合っているのだ、沼津は…。

「◯◯横丁」とか「◯◯通り」と名付けられたものは、本当に横丁や通りなのではなく、数軒の飲食店の入った雑居ビル…いや、ビルなどではなく文化住宅のような「これまた昭和感全開のバラック」のような建物のことを称するというとも観察から伺い知れた。

朝9時頃にこの濃度の町並みを見てしまい、既に一日が終わるような充実感を僕は味わった。

沼津という町はきっと寂れる一方なのだろう。

しかし、旧中心街で昔は賑わっていた歓楽街もなんとか生き残っている(のだと思う)。そして、それらは令和の時代にフィッティングするだけの変化をするパワーもなく、昭和感を漂わせるスタイルのまま、なんとか存命だけしているのだろう。

ここは僕が沼津に来て、一番心を掴む光景だった。