2023年の山葵も終わる

ゴールデンウィークの序盤は息子と娘のところに出掛けてきた。

彼等の下宿に本棚を設置することが大きな任務だったのだが、その他にもいろいろと家財道具を補足したり、まあ子供の世話をするゴールデンウィークだったので親馬鹿丸出しなのだけど、これも楽しいことなので良しとしよう。

 

出掛ける前の仕込みとして「山葵漬」を作って、その辛味が彼等のもとに届く際に最高潮を迎えるように計算しておいた。この試みは成功して、相当に辛い山葵を楽しんだのだけど、仕込みの段階で末娘と一緒に味見として山葵を食べた。

炊きたてのメシに生玉子を落とし、山葵漬と一緒に食べる。なんということもない食物でだが年中食べられるものではない。毎年のことだが、これを食べねば春を終えられないように思っている。

掲出した写真は末娘と一緒に食べた「山葵玉子かけ」だが、上のガキどもの下宿でも「父が田舎から持ってきた目玉御馳走」のひとつとして、山葵玉子かけを食べさせた。

長女は「玉子かけ御飯」という食品を好きではないそうだ。僕はコストパフォーマンスという点では「炊きたての白いメシと生玉子」なんていう取り合わせは最も優れたメシだと思うのだけど、その魅力に惹かれない長女は「今回の山葵玉子かけが数年ぶりの玉子かけ」だったそうだ。

田舎から自信満々に山葵漬を持参した父親へのリップサービスもあったのだろう。玉子かけを好きではない長女は「玉子かけを見くびっていた。こんなに美味しいとは思わなかった…。」との感想を述べていた。

そりゃそうだろう。文化鍋で炊いたばかりのメシだぞ!それ自体が美味いのにそこに山葵漬なんてあれば、それはそれは…。なんてことを思いながら、山葵玉子かけを美味そうにかき込むガキどもの様子に目を細めていた。

今年の山葵漬はこれでおしまい。寂しくもあるが、円楽師匠の名言を借りるならば「さよならしなくては次に出会えないじゃないか…」だ。

これは季節の味についての言葉ではなく色恋沙汰の言葉であるが、この精神を胸に今年の山葵漬との思い出を大切にしたい。