ねぎま

不覚にも風邪をひいてしまい、昨日は一日寝ていた。寝込むほど具体が悪かった訳では無いが、起きて出掛けて行動するほどの元気もなかったのだ。

昨日は一日、家にあるテキトーなものを食べていた。体調が万全ではないので食物の美味さも充分に感じ取れていないのだけど、特に食欲が減退することもなく、ある程度普通にものを食べていた。テキトーなものばかりなのだけど。

今日は朝から残務処理のために職場に出掛けて昼過ぎに帰って来た。多少腹が減っていたのと冷蔵庫の食材で悪くなりそうなものもあったのでササッと昼食の支度をする。

鍋で沸かした湯に酒と生姜の千切りを加えて煮立たせ、鮪と葱のぶつ切りを加えて市販のめんつゆと塩で調味した「ねぎま汁」である。

 

これを自分で作って食べるのは10数年ぶりだと思う。昔、名古屋に住んでいた時に安い鮪の粗を買ってきて啜り込み「美味いな」と感じた記憶がある。

しかし、少し食べただけで何処かに出掛ける用事があり、翌日くらいに帰宅して、鍋に沢山残ったやつを温め直して食べようとしたところ、魚の下品な匂い強くて全く美味くもなかったことも覚えている。この時は残ったものはほぼ食べずに捨てたように思う。

そもそも子供の頃から鮪に接する頻度は高くないので、その魚の粗なんてもっと関係値の希薄な間柄なのだ。魚の粗といえば鰤とか鯛の粗などを思い浮かべてしまう。

大人になってから、書籍などで「昔は鮪のトロの部分は下衆なもので捨てるようなものだった。それを庶民は臭み消しの葱とともにおつゆにして食べた」ということを読んでから憧れて食べようとしたものだった。

しかし、この「生臭い一件」から特に食指も伸びず、今回安価な鮪の粗を見つけたので久しぶりに作ってみた次第。

そう言えば、大学生の時に多分デートで女の子と居酒屋に行って、そこで「ねぎま串」を頼んだことも思い出した。当時の僕は「ねぎま」というものは「ねぎ間」であり、鶏肉の間に葱の入った焼鳥のことだと信じ切っていた。

そんな状態で出された「ねぎま」は正調の「葱鮪」だったのだが、特に咀嚼する必要もなくあっという間に食べ終えてしまったので「割高な食物だな。不味くはないけど…」みたいに思ったことも覚えている。

今回、僕が作った「葱鮪汁」は生姜をしっかりと利かしたものなので、風邪にはいいだろう。本来ならば、これを数日前に食べておけば今のように風邪が進行することもなかったのかも知れない。

 

小僧の神様」ではトロのことを「鮪の脂身」と呼んでいる。なんとも滋養がつきそうで良い呼び方だと思う。