「いい季節」の思い出

今日は朝から御殿場〜小山にかけて出掛けていた。

僕の住む沼津も全国平均では便利な町の部類に入るのかも知れないが、やはり御殿場あたり足を伸ばすと沼津よりも牧歌的な光景も増えてきて、仕事の用事での訪問ではあったが楽しい時間だった。

農村の水田や5月も後半だというのにまだ咲いているタンポポの花を目にすると落ち着くし、なんだか温かな気持ちになるのは「日本人共通の感覚」なのだろうか?

田舎で生まれ育った僕にとっては、こうした光景は子供の頃は日常の風景だったし、学校の行き帰りにも毎日のように見ていた景色だった。こんな風景を見て育ったという原体験が呼び起こす郷愁のようなものなのか、それともテレビや本などで培われた「後付の懐かしさを感じるように仕向けられた知識」によるものかは分からないけど、視覚から作用してくるヒーリング体験…みたいなものを感じる時間だった。

5月の御殿場の田圃の風景をビデオ撮影しておく…という仕事のために訪れた御殿場であったが、なんとも心安らぐ水田風景のそばに沢山のタラの木が植えられているのを見付けた。

畑と水田の直ぐ側にパッと見ても10本を超えるタラの木が生えているのだから、これは自生したものではなく近隣の農家が植えているものだろう。大きくなったタラの木からはイガイガの痛そうなタラの芽も元気に伸びていた。

そのうちの幾つかはまだ天婦羅に出来そうなものもあり、それをすぐに摘み取りたい衝動に駆られたが、きっと「言い訳の仕様もない窃盗犯」になるだろうからグッと堪えた。

…そう言えば、今年はタラの芽もコシアブラもまだ食べていない。5月の気持ちのいい風にあたりながら食べるもののことをすぐに考えてしまう。こんなことだから「痩せねばならん」という状況に追い込まれるのだ…。

その後、取引先のイベントに顔を出してから小山町の道の駅に立ち寄った。

ここで目にしたのが青々とした独活。写真のものよりも更に立派で葉っぱを茂らせたものを買って帰る。

小学生の頃におじいちゃんと一緒に山のそばの道を歩いている時におじいちゃんが「おっ!ちょっと待っとれ。」と言うや否や茂みに踏み込んで緑の葉の付いた茎を折って戻ってきて「独活があったよ」と嬉しそうにしていたことを思い出した。

おじいちゃんに教えられ、野山に自生しているタラの芽やら独活をその後も何度か採る機会もあった。こうした幼い頃の体験を思い出させてくれるのも「御殿場〜小山の農村原風景」の効果なのかも知れない。

僕とおじいちゃんは62歳離れていたはずだから、存命ならば112歳のはずだ、この年齢は現実的ではない。しかし、タラの芽や独活に心をときめかす「すっかりおっさんになった孫である今の僕」をおじいちゃんが見たらなんて言うだろう?きっと僕と同じように山菜に歓喜し、そいつらを肴に一緒に美味しい酒を飲むのだろう。