12月に入り、もう3日が過ぎる。
「今日は暖かな日になる」ということを昨日の天気予報で伝えられていたが、そのとおりに朝から「冬らしくない」1日だった。
少し前から「普通に炊いた飯」をやめて粥を食べるようにしている。今朝も麦と米を混ぜた粥を食べて、仕事に出掛ける支度をしていると、そんなに日当たりの良くない僕の部屋でもすっきりとした空から陽の光が暖かそうなことが分かるほどの好天の朝だった。
降り注ぐ陽の光をそのままにしているのも勿体ないと思い、僕なりに「その陽光を利用したい」と思い、今日は布団を干すことにした。
ソーラー蓄電などではなく、布団を干す程度のことしか僕には出来ないが、何もしないよりもずっといいことなのだろうと思ったからだ。
「布団を干す」という行為は、僕にとっては特に変わったことでもないのだけど、11月の半ばくらいまでは夏布団を使って寝ていたので、特に「干した布団の気持ち良さ」を感じることもなかった。ペラペラな夏布団はそこに少々の水分が含まれていようとも、それはそんなに気にならなかったのだ。
ただ、ペラい夏布団と比べるとずっしりと重くて暖かさも数倍になる冬用の布団に切り替えると、その暖かさとともに布団が含んでいるであろう湿気も気になるようになった。
僕の育った家庭は両親共稼ぎだったので、この家庭には平日に布団を干そうというような考えはなく、その反動みたいな感じで「休日になるとムキになって布団を干さないといかん!」というような風潮を生活指導員のような母親が作り出していた。
子供部屋の布団はそれを使用する僕と妹がそれぞれにベランダに干すことを命じられ、晴れた日曜日の午前中に朝からテレビまんがなどを見ていて布団を干すことを怠っていたら、母親からえらく叱られたものだ。
布団を干すためにそれを運ぶのは5分、取り込むのも5分くらい…。実際には各3分ずつくらいで出来ていたように思うので本当に大した事ない作業なのに、母に命じられて嫌々行うその作業は「結構な労役」のように思っていたのが、今となっては不思議なくらいである。
そんな少年期を過ごした僕は高校を卒業して青年期に差し掛かる頃には大学生となり下宿での一人暮らしをするようになるのだが、この間も天気のいい日には割と頻繁に布団を干していたように思い出される。「三つ子の魂百まで」ではないが、口うるさい母親によって躾けられた生活方法は、怠惰の限りを尽くした大学生の僕にもそれなりに活かされていたようだ。
★
この時期の「僕の布団干し重視スタイル」を後押ししたのは椎名誠の「哀愁の街に霧が降るのだ」の文章である。
椎名氏の若い頃の「仲間たちとの下宿共同生活」をベースにした思い出譚…みたいなものだけど、その中に「晴れた日には布団を干すこと」の大切さが記述されている。
作中では「『とうちゃん』と称される仲間内で一番のしっかり者」が怠惰な下宿仲間たちにそれを諭すのだが、僕は「実の母ちゃん」と作中の「とうちゃん」との2次元3次元を融合した両親からの訓示により「晴れた日には布団を干すことこそが正しい」という価値観を更に確固たるものとした。
本当は「★印」をつけたところに「哀愁の街に霧が降るのだ」の思い出深いページの写真を載せたかったのだけど、僕の本棚をよく探してみても、持っていたはずのその文庫本を見つけることが出来なかった。
この作品は「下宿生活を送る若者には必須科目の教科書のように読んで欲しい」と思っている作品なので、長男なのか長女が大学生になる時に「これは読んでおけよ!」と与えてしまったのだろう…。
朝、干してから出掛けた布団は昼に一度ウチに戻って取り込めばいいだろう…と思っていた。この暖かな気温と日差しならば数時間干すだけでもすっかりと気持ちのイイ布団になるだろう…と思ったから。
そんな僕は今日の昼には仕事先から昼飯に出掛けるふりをして自宅に一度帰ってきた。職場から自宅までは徒歩で10分くらいだからこそ成せる技だ。
…なのに、わざわざ帰宅した僕は自宅飯として「朝に作っていたお粥の残り」を食べたらすっかり満足してしまい、朝に干した布団のことなど全く忘れていた。
結局、19時頃に帰宅してからゆっくりと風呂に入り、20時前にウイスキーを飲み始めてから1日を振り返る時になって「今朝は布団を干したのだった!」と気が付いて、布団を取り込むという体たらく…。
全く暗くなってから取り込んだ布団と毛布は、今日1日が秋のように暖かかったお陰で、夜になっても「まだふんわりとしていて、陽にあたって乾いた布団のいい匂い」がした。