先週の一週間はだいたい粥を食べて過ごしていた。
これは「御飯を炊いて食べたであろうところを粥やら雑炊に置き換えた」というだけのことで、粥の他にも夜になれば酒やらそのツマミは普通に食べていたので、特にストイックな行為ではない…。
新米が出回る時期はそんな新鮮な米を最高に美味く食べられる方法で食べるべきだ!そうしなくては勿体ないじゃないか!…というセコさというか意地汚さというか…敢えて良く言うならば「食材への敬意を捨てることが出来ず」に、モリモリと銀シャリを食べていた。
例年のことなのだが、秋から冬にかけては「仕事での会食」もなぜだか増える。そこに食い意地の張ったおっさん(僕のことだ…)の旺盛な食欲と「秋ならではの美味しいもの」が姿を見せることにより、秋の味覚をよく食べた僕の体調は悪化する。例年のように…。そして僕は途方に暮れる(©大沢誉志幸)…。
そんな僕は例年のように「麦シャリ」を食べるようになったりするのだが、今年は「そんなことでの身体のこたえ方」も例年よりも酷い気がしたので先週は食事に粥を導入したのだった。
こちらにあげた写真はここ最近で食べた粥やら雑炊を食べた順に載せてみたものなのだけど、煩悩の塊のような僕は禅宗の修行僧のような粗食ではなく生臭さ満点のオカズとともに粥を食べていた。
白米と麦を混ぜたものをたっぷりの水で炊いた粥や、前夜の鍋物や味噌汁のようなおつゆに穀物を入れて炊いた雑炊。こうしたものを続けて食べていると味覚が敏感になってくる。粥に足した塩気の美味しさとともに穀物の持つ旨味が溶け出した「お粥のおつゆ」にも反応することが出来るようになるのだ。
そんな穀物の持つ淡い味だけを楽しめばいいのだが、「僕の身体に染みた生臭さ具合」は簡単には取り払えるレベルのものではなく、やはりオカズを必要とする。しかし、この粥生活のお陰で「食べもせずに冷蔵庫に残されていた瓶詰め各種」も相当、消費された。
頂き物だが普段の生活では特に食べたくもならずに持て余していた瓶詰めたちも、粥とと共にであれば本当に美味しく頂くことが出来た。「ものを大切にする」という観点では「お粥様様」である。
さて、タイトルにした「粥を食べると気が付くこと」はこんなことではない。
粥生活を送っていると「夜に飲む酒がやたらに美味い」のだ。これは単に、昼間のカロリー摂取量が抑えられているからなのだけど、その美味さには驚いた。
酒自体の美味さをだけではなく、ちょっとしたツマミの味をしっかりと味わうことが出来るようにもなる。
しばらく前から楽しんでいるハムの旨味も数段上等なものになったように感じ取れるようになった。先週食べた時よりもめちゃめちゃに旨い!…ただ、これは「粥による味覚の鋭化」とは全く関係なく、更に熟成が進んで「本当にハムの旨味が増している」のかも知れないけど…。
単に「一日の摂取カロリーを減らせられれば…」僕は健康に過ごすことが出来るのだろう。しかし「健全に過ごすため」にはある程度のアルコールよるリラックスタイムも必要に思う。
「健康であるためには辛いことも厭わない」というストイックさを持つ方のことは本当に凄いと思うのだけど、今の僕の生活にはそれを取り入れるような気概はない。
そんな怠惰な僕にとって粥や雑炊というのは身の丈にあったイイ食物なのだろう…と思っている。