趣味とか拘りとか

趣味とか特技を聞かれて「無芸多趣味」と答えることがある。

本当は「多少、芸と云ってもいいかな」と思うようなこともあるし、「興味のあることはあっても、別に趣味なんて大して無いしな」と思いつつ、ちょっとした謙遜のつもりでそう答えるのだ。

そう思うと本当に趣味らしい趣味は持っていない。誰もがそうではないだろうけど、僕においては年を取るに従って「趣味が日々の生活」のようになってきたように思う。

これは「趣味で始めた陶芸で口を糊することができるようになった」とか「レコード鑑賞しての音楽評で原稿料をもらえた」とかいう方向の話ではない。
日々の炊事、洗濯、掃除、そして食事が楽しめていて、そうした物事を趣味のように感じているという話だ。

なので趣味や特技について尋ねられたら「趣味も特技もありません。生活を楽しくするよう心がけていますし、そのあたりは割と得意です」というのが正しい答えのような気がする。


迂闊に「趣味が料理」とか「趣味が食器」など言おうものなら、グルメ情報や華美なメシ、あるいは陶芸家の名前や器の産地を語るのが好きな人間だと勘違いされかねない。

全て自分で消費する範囲、自分の生活テリトリーの中での出来事なのだ、僕の趣味は。その範囲のことについて聞かれたり喋ったりするのは好きだが、「趣味の深さ度合い」を推し量らずに方向性とベクトルが一致しない状況下での趣味の話は苦痛だ。


「jazzが好きだ」と言えば、どんなのが好きですか?とか聞かれることが多いだろう。jazzを幅広く色々なミュージシャンを聞くのが好きな人もいれば、ただひとり、ただ一枚のアルバムだけを毎日かけるという人もいるだろう。後者はとても珍しい人だろうけど「jazzが好きだ」ということには変わりはない。

趣味や特技についての返し方は本当に難しい。けど、それを難しいと考えていることがとてもダサい。そんなことを20歳をこえる頃からずっと思っている。