潔い味

この数年「潔い味」という言葉が好きだ。
何かからの引用ではない。
まだ他では聞いたことのない言葉だ。
自分でそう思った「造語」なのだ。


グルメを気取る人を揶揄するような本で、シンプルな味を楽しむのが大人だ!と「味付けは塩が一番」とする「塩派」を馬鹿にするものを読んだことがある。

焼鳥はタレを軽んじるようになる。
素材勝負ということで塩に走り始めるのだ。
天婦羅も勿論「塩」!
刺身も「塩」 !
蕎麦汁も使わずに麺に「塩」!
行き過ぎた馬鹿なヒトだよ、これは。
おかしな似非グルメだ、こいつは。
それが塩派だ!

…みたいに書かれたものを読むと「イキ過ぎた塩好き」は確かに馬鹿みたいに見えるのだろうとも思うけど、素材重視の気持ちは解らないでもない。「塩派」の肩を持ちたくなるような気もする。と言いながらも、僕自身もタレとか汁だけを白い御飯にかけてかき込むのが大好きだから、「塩もいいけど、塩じゃない味も好き」なのだ…。

と、言い訳みたいなことを並べたが、素材の味を生かすべきだという考えには大いに同調する。世の中の外食メシは調味料で誤魔化しているものが多すぎる。素材勝負の外食メシなんて、高価過ぎるものが多い。

素材勝負であることを軽んじてはいかんが、そこに付帯価値をつけすぎるのも良くない。安価に大口を開けて食べる自宅料理でこそ、素材勝負を意識するべきだ!

…そう思う僕の目の前に、今夜コンビニで凄い駄菓子が姿を現した。原材料を見ても馬鈴薯だけだった。潔い!

食べてみると、確かに素材の味ばかりだ。塩気もない。これは美味い!
…なんて思うこともなかった。残念な気がした。


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