地域性と利便性②

先日、旅行の際に松山にいたときに書いたことの続きである。

地方の町から、その町特有の昔からあった個人経営の店がなくなっていく。このことはとても悲しい…という意見を書いた。

これに対して誰かから反論があったとかではないけど、僕自身が反論のように思うこともあるから、今日はそれについての意見を記しておく。



町の古参店舗がなくなり、大手資本の新店舗ができる事は悲しい。町の個性がなくなっていくような気がするからだ。

しかし、これは万人が思うことではない。
その地元で生活する人は大手資本の店が出来ることを歓迎していたりもする。僕自身も相当に不便な田舎出身なので、子供の頃に全国チェーンの店が町にできるのが楽しみだった。


小学生の頃、商店の中にロッテリアができた。もう40年近く前のことになる。当時、僕の住む街にはTVCMでしか見たことのないマクドナルドはなかったから、町で初めてのハンバーガーチェーンだ。厳密に言うと鄙びたドムドムハンバーガーもあったような気もするのだが、とにかく垢抜けて見えるロッテリアは都会の象徴のようにすら思った。

当然、クラスの子どもたちの間でも「もうロッテリアには連れて行ってもらったか?」「何を食べて、それがどうだったのか?」なんて話が飛び交った。

僕の両親はそうした流行りにも興味を持たず、子供の希望をすんなり聞くような親でもなかったから、僕がロッテリアに初めて行ったのは町の1号店がオープンしてから随分と後のことだったと思う。

しかし、あの時は自分の住む街も少しずつ近代化していくようで嬉しく思った記憶がある。


町の進化と言えばコンビニの台頭も象徴的である。
僕の住む町にコンビニが増えてきたのはバブル前の中学生くらいのことだったと思う。
僕が接した当初のコンビニは町の酒屋みたいな店が雑誌や弁当も置くようになって誕生し、そこが夜遅くまで営業するということに驚いていた。家族とも「夜中に誰が買い物に行くのだろう?」なんてことを話していた気がする。

「街が文化を作り、文化が街を作る」みたいな言い方に当てはめるならば、夜中に開いている店なんぞないから、誰も夜中に買物することを想像すらしないし、夜中に開いてる店が出来たから田舎市民も夜中に出歩くという行動が生まれた…というところだろう。


「ナイトショップオレンジ」「パコール」そんな名前のコンビニが僕の高校生時代の活動範囲には存在していた。そして、ちらほらとセブンイレブンが町に進出してきたのもその頃だ。

セブンイレブンに入って買い物したときの便利さはよく覚えている。駄菓子屋や学校の購買の延長で売っていたような柔かいラップに包まれた惣菜パンではなく、全国画一的なテレビ映りも良さそうなサンドウィッチ!そして、ピザをクレープにしたみたいなブリトー。綺麗にパッケージされたそうした商品を買うトキ、田舎町が数段便利になり、少しずつ都会の仲間入りをしているようにすら感じたほどだ。


こうして地方都市が便利になることを多くの田舎市民は望んでいた。田舎を離れた後、夏休みに帰省した時などにも「あそこにコレが出来て、この町も随分と便利になった」というようなことを何度も聞いた。


その影で、個人商店は随分と淘汰された。
学校の前に数軒あった文房具店や駄菓子屋などはコンビニに取って代わられた。そりゃ、コンビニの方がいろいろなものがちゃんと揃っていて「文字通りコンビニエンス」なのだから。


地方の飲食店や商店が全国画一的なものに変わることを嘆くのは、その町に住んでいない言わば無責任な発言が出来る層が多いのだろうと思う。

僕も自分の住む町にコンビニもない状況だった場合、朝から夕方で閉まる個人商店が潰れても構わないから、コンビニができて欲しいと願うだろう。

旅に出る度に思う「失われていく地域性」。
こうした町の変化にストップをかけることは出来ないし、するべきでもないのだろう。

遠く離れた松山の町を歩きながら、そんなことを考えていた。


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写真は松山駅隣接の「喜多方ラーメン」の店。
旅の途中だったので、こんなところで喜多方かよ!なんて思ったのだが、松山に住む人だってめずらしい他の地方のラーメンを食べたいのだ。目新しいものを出す店が出来て、勝負に負けて廃業する店も生まれる。それを否定していては、そもそも日本に洋食屋が出来ることも否定しなくてならなくなるのだろう…。喜多方ラーメンは別に喜多方で食べるものではなくなったのだ。イタリアンをそこらで食べることが出来るように。
しかし、こうした事で古くから地元に根差した店がなくなることも事実なのだ。