天麩羅について考えた 2021春

もう2週間ばかり前のことになるが、外で天麩羅を食べた。アウトドアで料理したのではなく天麩羅屋に出掛けて食べたのだ。

外で食事をすることはそんなに多くない。ましてや、ちゃんとした天麩羅を外で食べることというのも、滅多にないことだ。

休日の昼間に友と訪れたその天麩羅屋はとても繁盛していて、なるほどと思うようなコストパフォーマンスだった。瓶ビール一本飲んで、天麩羅定食を食べて2,000円くらい。



それなりの場所にあり、それなりの佇まいで、それなりの美味しさのものをそれなりの料金でサービスしてくれる。

とても当たり前のことだけど、「こうしたそれなり」を満たしてくれる店はそんなに見つからない。

美味しくて居心地が良くても、納得できないくらいに高額だったりする。高い金をとって美味しいものを供するのは当然のことだと思うが、僕の住んでいる町には「高い料金をとって美味しくないものを供する」店も多いように思う。そんな店には早くに潰れてもらいたい。コロナのお陰でだいぶ淘汰されたのは良いことだ。


外で天麩羅を食べるのもたまにはいいな…なんて思ってから一週間後、先週の出来事だけど、今度は自宅で天麩羅を揚げた。

どれ程の天麩羅好きか?と思われそうだが、会社を辞める部下の送別会として天麩羅を振る舞ったのである。

「天麩羅を食べる時には親の仇に会ったかのように…」の教えに忠実に従い、揚がったはしから躊躇なくかぶりついてもらった。僕はひたすら揚げ手なので食べない。

揚げ終えて冷めた残り物を賞味してみたが素晴らしい味だった。当然、ゲストたちにも好評だったのだが。


あらためて思ったのは「家での天麩羅もいい!」ということ。外で食べる職人さんによるモノホンの天麩羅の方が美味いに決まっている。そんなことは分かっている。しかし、値段の安さと揚げたものを食べてもらう際のコミュニケーション。これは家でやる天麩羅には敵わない。


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天麩羅屋で飲んだ瓶ビールが美味かった。
記憶に残ったのは天麩羅よりも瓶ビールの美味さ。
なんだか悲しいことだけど、天麩羅も割と良かった。