海老のおぼろ

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長女が明日、17歳の誕生日を迎えるので、今夜は子供たちを招いて一緒に夕食を楽しんだ。

昨夜のうちに値引きになった魚を買い求め、それらを中心にとした「手巻き寿司」であるが、僕にとって「手巻き寿司という食物」は相当な御馳走だ。実際の費用はともかく、皆で集まって銘々に好きなものをネタにして食べるには、それなりの種類が必要になるし、その賑やかな雰囲気が御馳走感を醸し出すのだと思う。


寿司屋のカウンターで酒を飲みながらつまみを適当に食べて、いいところでお好みで幾つか握って貰う…なんて、カッコいいことではあるが、今の僕には分不相応な鮨の楽しみ方である。ましてやガキどもがそんなふうに鮨を食すことなんて「言わんや子供をや…」である。


しかし、そんな倹約を重んじた自宅家族メシの寿司であってもそれなりに楽しんで貰いたい…との思いから、今夜は「芝海老のおぼろ」を作ってみた次第。

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銀座の人気の鮨屋では白身魚ではなく芝海老でおぼろを作ると言う。これは僕自身が食べた経験ではなく、本で読んだ知識。こうした話を子供たちに聞かせてみせたところで大した興味は持たない。

食についての知識を持つことは面白いし、僕はそんな本を読むことが好きだけど、最も大切なのは自分の舌でどう感じ取るか?である。

まずは作ってみて食べさせる。
それが美味かろうと不味かろうとどちらでも良いが、これが1つの経験になる…と言うことが大切だと考えている。勿論、美味しい方がいいのだけど…。



ブルース・リーの名作に出てくる「考えるな、感じろ!」は僕の好きな言葉の一つではあるが、感じるだけで考えないやつは馬鹿である。いずれも大切だ。

しかし、ウェブによって情報が本当に簡単に手に入るようになってから、そんなところで得た浅い情報をあたかも自分の体験のように勘違いして「考えること」も「感じること」もないくせに、知識だけちゃんと得たようなつもりになっているやつが増えた。これはもう「馬鹿」なんて呼ぶのも馬鹿に申し訳無いくらいの屑のような人間だと思う。

成長していく長女には「自分で体験して感じ取り、考えること」の大切さを学んで欲しい。