茄子を食べて思うこと

夏になると食欲不振になる…なんて人もいるそうだ。

暑い夏がやって来ると、メシやオカズを食べているよりも冷たいジュースやらデザートを食べたくなる…というのも考えてみれば想像は出来るのだが、実体験としては全く共感出来ない。

気温や気候、季節の雰囲気によって食べたいと思うものの変化はあるけれど「ものを食べたくない」なんてことを感じた記憶はほぼ無い。

夏らしいだろうが、秋だろうが、すべての季節にその時期に食べると美味いと思うものがある。

それ程までに僕の食欲がブレることは無いし、だから痩せることもない…。何も自慢出来ることは無いのだけど…。


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さて、今夜は枝豆と焼き茄子でウイスキーを飲んでいる。

枝豆をこの夏に食べるのは何度目だろうか?ここ最近は一日おきくらいで食べているのだけど、市場に出掛ければとても安く売られている枝豆を見付けてしまうので、それを買わずに帰ってしまうことに罪悪感を感じるので飽きずに食べているのだ。
実はとっくに飽きているのだが…。


焼き茄子はこの夏、初めて食べた。
昼下がりに茄子をグリルに入れて、色の濃い皮がバリバリに焦げるまで焼いておき、冷蔵庫で冷やしておいたものだ。


子供の頃に実家の食卓に焼き茄子が登っても、そのメニューは全くと言っていいくらいに少年時代の僕の食欲を刺激しなかった。なのに、焼き茄子という献立はそれなりの頻度で僕のウチの食卓に登場していた。

メシが進むオカズでもなければ、不味くもないけど特に美味しいとも思わないものなので「この茄子が麻婆茄子ならいいのに…」なんて思ったりしていた記憶もある。


大学生になって一人暮らしを始めて、なんだか懐かしくなったので茄子を買って来た。火の通った茄子を食べれば焼き茄子なのだろう…なんて浅い考えでレンジで熱を入れてみただけの茄子はどうにも不味いものだった。

焦げた香りが大切なのだと気が付いて、その後は茄子を直火に当てて焦がしてみたりしたのだけど、簡単に見える「焼いただけの焼き茄子」を作るのがどれほど面倒なことなのかと辟易とした。


そんな面倒臭さは何年経っても本質的には無くなることは無いのだけど、おっさんになってくると「そんな面倒臭さも大した事ではない」と思えるようになってくるのだから不思議なものである。

焦げた匂い、いや、焦げた香りと茄子の淡い甘み。どうにもテンションの上がらなかった「焼き茄子」という献立は、実家で大して喜びもせずに食べていた当時から30年以上歳をとった僕の味覚を、今ではガッチリと掴んでいる。