「too much」なこと

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昨夜は遅くまでドラマを見ていた。

その数時間前から酒を飲み、食事を摂っていた。
昨夜は冷蔵庫で古くなりかけていたもやしを消費しなくてはならん!と思い、大蒜を油で熱して豚コマをフライパンに入れてもやしを加えてチャッと作った肉野菜炒めを食べていた。ドラマを見ている頃には、それらを食べ終えていたのだけど…。

こうした「フライパンひとつであっという間に作るおかず」を食べていると、大学生だった頃のことを思い出す。

肉野菜炒めとか肉のない野菜炒めという献立は、自炊をする大学生の超定番メニューなのだろうと思う。


僕の交友範囲には、比較的自炊をして美味いものを食べたいと思う友人が多かったから、フライパン献立だけのものを一緒に食べることもそんなに多くなかったように思う。

それでも、友人のウチ(下宿)にお邪魔して厚かましくもそこでメシを作ってもらって(僕がそこで作ることも多いのだけど…)一緒に食べる時には、やはり肉野菜炒めも結構な頻度で登場していたように思う。

そんな時に割とよく見かけたのが「味付けは焼肉のタレ一辺倒」という大学生…と言うか、若い男がよく作るであろう定番みたいな炒めものが作られる光景だった。

そう言えば、職場の若手男子も「なんの野菜でも焼肉のタレで炒めて食べるとメチャ美味いです」みたいなことを公言していたことも思い出した。


職場若手が平素から食べるものも、下宿大学性が作るものも「化学調味料たっぷりの、とにかく調味料の味で逃げ切るもの」であるはずなので、野菜の甘味や奥床しい旨味を感じるようなものではない。なんだか甘辛いタレの味でメシやら酒を食い進めるタイプの料理であるはずだ。そんな味だったことも思い出した。



かれこれ30年近く昔の下宿献立の思い出とは別の話になるのだが、今でも時折料理のレシピを見ることがある。

凡その料理はレシピなど見ずに経験と感覚で作ることが出来る(と自負している)し、そんな経験と技量のない青少年期はともかく、今では料理の作り方を知りたくてレシピを見ることなど、本当に滅多にない行為となった。

今レシピを見るのは、特に見ようという意識もなく、なんと言うことも無しにネットでそうしたレシピに出会ってしまったので見てみただけ…という感じである。


そうしたレシピを見て驚くことがある。
洋食っぽいものには、顆粒なのかブロックなのか知らないけど「即席のコンソメ」を足すレシピ!そして、和食であれば「粉末のだしの素」を加えること。中華風に限らず「粉末の鶏ガラスープの素」を足すレシピも多い。

こうした「粉末の何らかの出汁の素」を加えた料理は、原材料の旨味など完全に無視していて、むしろ原材料は見た目とか食感の為にだけ存在していて、肝心の味は「粉末調味料」に頼り切っているものだろうと思う。


野菜や肉や香辛料を使って作ったものの方が「素直な食材の味」を味わえるはずなのに…と思うのだけど、現在の日本人の多くの人が「粉末調味料」の味がしないと旨味を感じ取れないくらいに「too much」な味付けを好むようになっているのだろう。


冒頭に出した写真は「肉野菜炒めのフライに残った脂とか残り汁に水を足してグラッとさせて、余り物のトマトのサラダを加えて塩で味付けをしたスープ」である。

夜中にお腹が空いて何かを食べようと思って作った「残り物再生料理」である。フライパンに残った脂なんかの残り汁を「残り物」と称するのもいささか乱暴なようにも思えるけれど…。

こんな残り物の料理であっても、肉野菜炒めのコクや大蒜の混ざった旨味は充分に感じ取れるし、トマトの酸味と旨味に塩味で味を整えたら充分に美味しいスープとなる。

ここに粉末の出汁の素など加えようものならば、その前に作った肉野菜炒めやら残り物のトマトの味わいもぶっ飛んでしまうだろう。

料理後のフライパンや鍋に残った残り汁にこそ、その日の料理の旨味が残っているのに、それらを簡単に洗い流して、新たに粉末調味料を加えて料理を作るようなことを軽蔑する。

そうしたことをする馬鹿に限って「コンソメひとつ入れるだけですごく美味しくなる。すごく安いし…」なんて風に間違った経済感覚をひけらかす馬鹿の上塗りであることが多いように思う。