トランペット練習の進捗について

もう5月も終わるので、簡単な算数では「今年のうちの12分の5」が過ぎようとしている。パーセンテージで言うならば、大体42%を過ごしたことになる。


今年が始まる際、正月の休暇の間に「今年こそ取り組もう」と思っていたことがトランペットの練習である。

これは、1月の後半には道具の準備に入って、2月にはリハビリのようなことを始めて、2月のうちに市民楽団に入団して、トランペットを練習することからはだいたい逃げられないような環境を確立させた。

それからのことだから3月4月5月と、3ヶ月間はそれなりにトランペットの練習をすることが出来た。

3ヶ月間練習をしてきて、僕のトランペットの腕前は飛躍的に向上した。これは僕が「カッコよくトランペットを吹けるようになった」ということではない。

スタート地点のレベルがあまりに低いのだから、演奏技術が飛躍的に向上しているものの、人前で演奏して観客のような人たちに感動を与えるほど巧く演奏出来るレベルでなくとも、僕の中では「飛躍的な向上」が成立するのだ。

「人前で演奏すること」を価値基準とするならば、全くもってまだまだなのだけど、そんなことを価値基準にしてしまうとトランペットを練習をするモチベーションすら失ってしまうようなレベルだ。

「下手くそラッパ吹きの自己弁護」と指摘されるならば、その通りでしかないのだけど、僕はこうした自己満足をモチベーションにして日々、トランペットの腕を磨いている。


そんな僕が属している市民楽団が今週末に演奏会を開く。僕も人前で演奏するのだ。

学生の頃には週に一回くらい、演奏者としてライブに参加している時期もあった。人前で演奏するという言葉通りの行為を言うならば、週に数回はスタジオに入ってバンドのメンバーとともに練習していたから「人前でラッパを吹く」ことなんて、3日に一度くらいの頻度であったのだろう。

客前でなくとも、それが身内のようなバンドのメンバー出会っても、他人の前でラッパを吹いてそれに対して上手いか下手かの批評をされる環境というのは、アマチュアであってもミュージシャンとして素晴らしい環境なのだったのだと思い返される。


僕が参加している市民楽団は、そこに集まって練習することが主たる目的…のようなところだから、凹むようなダメ出しをされることもないけど、うまく吹いたところで褒められることもそんなにない。

そもそも、僕の所属する楽団のレベル自体がめちゃめちゃ低レベルで、下手くそな僕から見ても「こんな演奏レベルでライブとかやるなよ!もっと基礎的な練習してバンドとして演奏能力を上げろよ!」と感じるような有様だ。

そんな楽団に属していることでのストレスもそれなりにはあるのだけど、新参者の僕がそこを指摘することではないと思っている。


そんなことを考えながらも、演奏会の時は着実に近付いて来ている。ともかく、僕自身の演奏は今の時点で納得のいくものを披露できるように努力を続けたい。



写真は僕の持っているラッパのケース。
下の赤いものの方がカッコいいのだけど、ダサい吹奏楽団みたいな人たちが集まる市民楽団の練習にこのカッコいいケースで行くと「引く人」が多いだろうと思って、上の方のおとなしいケースにおとなしいラッパを入れて練習に参加している。