今夜は少し前にこのブログを書いたのだけど、その後も酒を飲み進めて今は真夜中だ。そんな現在、僕はメシを食べている。
こうして、飲んだあとに何かを食べるから太るのだけど「これをやめられない弱さが僕にはある」というような開き直りみたいなものを抱えながら、特に節制しない生活をもう30年くらい続けている。何も堂々とここで言う必要もないのだけど…。
今夜は「今朝炊いてタッパーに移しきれなくてメシを炊いた文化鍋に少し残っていた冷飯」をお椀に移して、そこにお湯をかけて何らかのオカズを加えたものを食べている。具体的に言うと、さっきまでつついていた白菜漬を冷飯に乗せてお湯をかけ、そこに実家の母親が送ってきた「ちりめんじゃことワカメを化学調味料で味付けしたふりかけ」をのせて食べている。
実家から送られてきたふりかけは、化学調味料がビシバシに使われているので、お湯をかけただけでも信じられんくらいの化学的な旨味がある。コレはこれで美味いものだ…なんて素直にいえるくらいにぼくの味覚は化学調味料ナイズされている。
そんなに餌のような夕食を摂っていると、幼い日のことを思い出したのでここに記しておく。
僕が幼稚園から小学校低学年の頃のことだ。級友にイエモトくんという奴がいたのだけど、その子が凄い偏食家だった。多分、給食のほとんどの献立を食べられなかったのでなかろうか?
今、思い出そうとしても「イエモトくんがアレルギーとかで、多様な給食献立を食べられなかった」のか「好みによる偏食で給食献立を食べたくなかっただけ」なのか?それは分からない。ただ、イエモトくんが多くのメシを残していたことは確かなことだ。
そんな状況を危惧した当時の担任の先生、年輩女性(おそらく当時50代だったので、僕はおばあちゃんのように思っていた小学時代の先生…)のタマキ先生がイエモトくんに対し「あなたは普段、何を食べて(生命維持して)いるの?」と尋ねた。それに対してイエモトくんは「僕はウチでは御飯にちりめんじゃこを乗せて、そこにお茶をかけて食べています」みたいなことを答えたことをよく覚えている。
当時の僕も「ちりめんじゃこをメシに乗せたもの」を頻繁に食べていた。そこにはお茶とかお湯をかけるかは別にしても、当たり前の食事のように思ったから「別にイエモトくんだって普通じゃん」なんて思っていたことを思い出した。
それから40年近くが経った今では「ちりめんじゃこをメシに乗せてお茶をかけたもの」を食べることなど、ほとんどなくなった。僕だけでなく、これを当たり前の食事にしている子供は今では少ないのだろう。そんな昭和っぽくてビンボーっぽい食事は、日々食べているとしてもそれを学級で当たり前のように発表しないのかも知れない。
そして、そんな現在の子供たちは「今朝はシリアルを食べました」とか「今朝はサンドイッチを食べました」とか言うのかも知れない。それらがどれほど手を加えられてもいない工業製品のようなものであっても。
化学調味料たっぷりのちりめんじゃこをメシに乗せて食べながら、そんな40年くらい前のことを思い出した。