今日から7月で、今年も半分が終わった。
年々、時間の経過速度は上がっていて、3年くらい前と比べると倍くらいの速度で半年が過ぎたように思うのだけど実際にそんな訳はないので、こう感じるメカニズムについて振り返ってみる。
■この半年で力を入れたこと
これはトランペットであろう。しかし、楽器自体の演奏能力を伸ばすことよりもド下手なバンドの世話に尽力した…というのが正しい。この「ド下手なバンドの世話」というものが厄介で、一生懸命やったところで僕自身のプレイが上手くなっている訳ではない。演奏能力自体についてはこの半年では下手になっている。
ド下手バンドの世話というものは、どうすればバンド全体が上手くなるか?と考えることに多くに時間を割くのだが、「ド」が付くくらいに下手というよりも「ド」が付くくらいに効率的な練習に向いていない集団なので、やりがいを満たしてくれる程の成果とか喜びは得ていない。
手を着けてしまうと責任感のようなものが生じて投げ出すことが出来ずにいるし、もう少しつぎ込めばどうにかなるのではないか?という期待もあったりで、こうして冷静に分析してみると「人道性や責任感を問う振りをした蟻地獄ギャンブル」のようなもので、こちらへの向き合い方は考え直さなくてはならない。
■疎かになったもの
上記のジャズバンド、というか上記に限らずバンド活動というものは不満はあってもやはり夢中にさせる何がある(ことが多い)。何がない時にはそのバンドに参加しなくなるのだから、僕の生活からはバンド活動自体が存在しなくなる。
練習の組み立てを考えていると、音楽を掛けながら酒を飲むことが多い。そして、酒を飲みながらバンド仲間とラインや電話でやり取りを行ったりする。結構な時間をこうした行動に費やしたのだけど、前述の通り、僕自身の演奏能力は伸ばせていない。
こんなことに時間を割いていて、僕の文化水準が上昇するような実際にカッコいい音楽を聴く時間とか本を読みながらモノを考える時間など、カルチャーという言葉の語源が「耕す」であることのまさにその通りに、頭脳の畑を耕すことが疎かになった。
最低限の季節を感じる食事とか四季折々の漬物とか、モノを食べることに繋がる行動は維持しているが、これは既に身に付いた「呼吸のように当たり前のこと」をやっているだけなので、特別な努力をしていない。
7〜12月まで、今年の折返しを満足できるように過ごせれば「総じて今年はイイ年」となるだろう。
今日のような「振り返り」は自分の駄目だったところを改めて思い知らされるので気持ちのイイことではないが、こうでもしないとモノを考えずに惰性で生きることになる。「人間はやりたいことしか出来ない」し、少しでも高度なことに挑戦していきたい。そのためにもこうした総括は必要であると思っている。