梅の塩漬け 23年版

日曜日に買ってきた梅を月曜日に塩漬けにする予定だったのだが、一日遅れの火曜日に塩漬けにした。

予定が一日ズレただけだったのだが、果物の追熟においてはちょうどこの一日が熟成と腐敗の分水嶺の手前だったようで、買い求めた際に黄色く色付いていた梅たちは、オレンジ色のようになるものも出てきて梅干用に加工していくにはちょっと危ない状態の奴らもチラチラと見られた。

これは予見していたし、心配していたことなのだが、やはり娘と一緒に作業すること、梅干を喜んで食べる娘に「何も考えずに無責任に消費するだけの馬鹿」には育って欲しくないと願っての判断ではある。

柔らかくなった梅は乱雑に扱うとあっという間に皮が破れてしまいそうな状態だ。これをまさに腫物に触れるかの如く洗い桶に移し、優しく洗っていく。ハードな青梅であれば一度に洗い桶にガシャッと入れてガラガラと掻き混ぜて洗えばいいのだろうが、完熟梅をそんな扱いしようものなら、大半の梅の皮が破れたり、中ではすぐに潰れるやつまで出てきそうだったので、末娘が3度に訳で丁寧に洗った。

 

洗った梅は爪楊枝でヘタを取り除き、容器に移して塩漬けにする。説明すれば「ただこれだけのこと」だし、実際の作業も特に難しいものではなく、幼稚園児にだって出来るくらいの「ただこれだけのこと」なのだ。

時間が特に掛かるわけではない。TikTokとかでくだらん動画みたり、テレビでどうでもいいクイズ番組見てたりする時間をこちらに回せば時間など簡単に作れるくらいの「ただこれだけのこと」だ。

やり方が難しいから…。忙しくて時間がないから…。疲れていて出来ない…。人は色々な理由をつけて「やりたいことが出来ない言い訳」をする。これの大半は嘘であり、「やりたいことではない」だけなのだ。

中には就寝してから起床するまで以外は監視下に置かれ、地下で労役について幾ばくかのペリカを報酬として受け取るような人もいるだろうが、そんな人以外は「基本的にはやりたくないし、やるつもりもないこと」に苦しい言い訳をしているのだ。

「人はやりたいことしか出来ないしやらない」というのは僕の中学生の時からの持論なのだが、塩に浸る梅を見ながら、やはりこれは真実なのだと考えされられた。