【夏旅】旅先での「人」の思い出

夏になると観光…もとい、敢行している「18切符旅行」であるが、昨年は大学生になった長男と男二人旅に出掛けた。

昨年の彼との旅では「ネットで見た格安ホテルを予約して、そこに歩いて行ってみるとラブホテルだった…」という香ばしい体験をした。これは福山での出来事だ。

幸い僕たち二人は特にキナ臭い関係にはなることもなく、別のホテルに泊まったのだが、これも今となっては面白い思い出だ。その瞬間は腹が立つやら、手前のリサーチ力の甘さを情けなく思うなどで面白くもなんともなかったのだけど…。

 

さて、今年はその下の長女も大学生になったことで彼女も伴って3人で旅に出た。正式な流れをここで言うと、当初は娘との二人旅のつもりだったが、そこに息子も誘って3人で出掛けた…という旅だった。

僕にかぎらず誰であっても、一人で出掛ける時には「基本的に自分のことだけを考えていればいい」のだし、逆に言うと「自分一人しかいない」ので周囲の様子にも目が行くものだ。

そりゃ、話し相手もいないのだから、鈍行列車やら降りた先だったり、立ち寄った酒場でも基本的には暇で仕方ないのだ。人を観察していたり、その人に話しかける機会も否が応にも増えるのだ。

この夏の旅は「ある程度の厚かましさも持っている50のおっさん」がいるのだけど、あまりにも内向的なガキども二人を伴ってのものだったので、彼らが旅先で他人の様子に目を向けたり、僅かであろうとも人との触れ合いなんてものを体験することも殆どないのだろうな…なんて思っていた。

 

確かに「旅は道連れ」という言葉における「道連れ相手」がいると、道連れ以外の人との関わりは希薄になるはずなので、その予想の通りに、我々3人の「この夏の旅での他の人との関わり」というものは、薄く軽いものだった。

 

そんなものではあるのだが、今回の旅先で印象に残った人についてメモしておく。

水上駅近くのまんじゅう屋のおばあちゃん

仁賀保のホテルのすぐにテンパる年配職員

■なぜか仁賀保に沢山いたフランス人たち

仁賀保から列車に乗ってた女子中学生たち

■秋田から青森に向かう列車の中で娘が接したおばあちゃん

■秋田から弘前、更には青森まで旅程が一緒だったヤンキー母娘

大湊駅側、吉田ベーカリーのおばあちゃん

■大湊のローソンのふくよかな女性店員

■恐山観光に来ていたスタバに行ったことのなさそうな仲良し兄ちゃんたち

■大間の超地元商店グリーンストアーのレジのおばさん

大湊駅で列車の列先頭であることを猛アピールするおばさん

 

微笑ましく思い好感を抱いた人もいれば、僕らの中では小馬鹿にしていたような人もいる。旅での思い出なんていうものは、何もその瞬間に楽しかったと感じたことがそのままストレートに楽しい思い出として残るわけではない。

旅を終えて日常の生活に戻り、ある程度の熟成時間を経てから、旅の最中のその時点ではつまらなかったものであっても、後になって思うと楽しかったことに変わるものもあるのだ。

そして、旅の最中には「軽い感銘しか受けなかったようなもの」であっても、旅の後の熟成期間を経ることにより、とても劇的な印象として心に残るものもあるのだ。

 

前述の方々だけではないが、多くの人と触れ合う(あるいは触れ合いなどなくとも、一方的に観察する)ことなどによって、今回の旅も思い出深いものとなりそうに感じている。

そうしたその場での体験の熟成期間を迎えている「旅の後となった今」も、今回の夏旅の楽しみの一つと言えるのだろうと思っている。